旧白洲邸「武相荘」 白洲次郎と白洲正子

小田急線の鶴川という駅から歩いて15分ほどのところに旧白洲邸武相荘がある。2006年5月の訪問以来、先日三度目の訪問を果たした。

ここに住んでいた夫婦は二人とも個性の強い人物だった。夫は白洲次郎(1902−1985年)で吉田茂首相のブレーンをつとめた快男児で、「マッカーサーを叱った男」として有名だ。妻は白洲正子(1910−1998年)で、こちらは本物の生活を営んだ日本文化の目利きの女性として死後も人気が上がり続けている女性である。
おしゃれな男性老人、着物姿の女性たち、中年から老境にある女性の友人同士、そして老夫婦など見学者が多い。

白洲次郎は、通商産業省の創設など日本の早期の独立と経済復興に黒子として活躍し、57歳で東北電力会長を退いた後は、この武相荘で車と日曜大工とゴルフに興じた逸話の多い人物である。
次郎はダンディの見本として雑誌で特集が組まれるなど今なお人気があるが、ダンディの条件について次のように語っている。
筋を通す、弱者にやさしい、私(わたくし)しない、見た目にそこそこカッコいい。要するにダンディとは「やせ我慢」のことだろうか。また次郎は、プリンシプルという言葉を大事にして、それを原則、筋、武士道などの日本語をあてている。自分なりの「美学」を持てということだろう。「志」にも近いと感じた。

妻の正子は、明治の元勲・樺山愛輔の次女で、女人禁制の能舞台に演者としてはじめてたっている。その後、「お能」を刊行し,「能面」「かくれ里」で読売文学賞を2度受賞しているなど古美術、古典文学,紀行などはばひろい分野で活躍した。
正子の「西国巡礼」の中で多田道雄が「白洲さんにくっついて行った巡礼の終わりになって、その旅が実は自分を発見する旅だったことに気づくはずである」と述べている。巡礼は自己発見の道行(みちゆき)なのだ。
正子は「今は命を大切にすることより、酒でも遊びでも恋愛でもよい、命がけで何かを実行してみることだ。そのときはじめて命の尊さと、この世のはかなさを実感するだろう」と書いている。
この武相荘には河上徹太郎夫妻が疎開し、小林秀雄今日出海青山二郎大岡昇平などが訪ねて酒盛りが何度も催された。
「今、私が曲がりなりにも物を書いているのは、先生たちの恩に報いたいためで、幽明境を異にしようとも、彼らは私の心の中で生き続けており、私が死んだあとまでも生きてほしいと願うからである。」と正子は晩年に集中した膨大な執筆量の動機を述べている。

イギリス流のカントリージェントルマンだった次郎と、日本の古典文学と古美術の美しさを再発見した正子。
旅に出るとせっかちな次郎と、道草の好きな正子。
「野人と韋駄天 世紀のカップル」という表現も武相荘で見かけた。韋駄天お正は、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢を終生貫いた行動派だった。

最近横浜の百貨店で開催された二人の企画展のキャッチコピーは「時代に媚びない。時代を染め抜く」とあったが、次郎と正子をそれぞれ的確に説明してあった。
次郎と正子は、この武相荘で次郎の趣味の家具と、正子が蒐めた骨董に囲まれながらそれぞれの天命を生きたのである。

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今日のゼミは、4年生と3年生の就職関係の報告と、2月3月の春休みの目標を考えてもらい発表する時間にした。充実した春休みを過ごして欲しいものだ。

3年生「就活。SPI」「説明会に積極的に参加。就活。Jリーグの応援」「6月からの留学に向けてバイトで資金。海外旅行も」「夏までに内定。2-3月は就活に専念。SPI」「自動車ディーラーを受験」「多くの業界の選考説明会に参加」「静岡に帰省」「親との情報交換」。

2年生「中国北京に語学留学」「就活について調べる」「本を読み図解に挑戦!」「車の免許。簿記と宅建などの資格の勉教」「就活準備のために情報収集。公務員も」「バイトと遊び」「将来を考える。資格。バイトして弟にプレゼント」「向いた仕事を探す」「就活を考えながら趣味とバイト」