服部龍二「日中国交正常化--田中角栄、大平正芳、、」(中公新書)

話題の服部龍二著「日中国交正常化--田中角栄大平正芳、官僚たちの挑戦」(中公新書」を興味深く読んだ。
この書は、2011年度の大仏次郎論壇賞とアジア・太平洋賞特別賞をダブル受賞しており評価が高い。
1972年9月に戦後30年近く断絶していた国交が回復するが、そのときの政治家と官僚たちの動きをドキュメント風に追った意欲作である。
登場人物は、中国側は、周恩来毛沢東、、。台湾は蒋介石、、。そして日本は、田中角栄首相、大平正芳外相、そして外務省の官僚たちである。

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

この本を読みながら、松本重治の「日中関係は米中関係である」という謎めいた名言を想い出した。日中関係は、その背景としてそのときの米中関係が色濃く反映するという意味で、単体としての二国間関係ではありえないということを示唆している味わい深い言葉である。
さて、この本の中で大平正芳が「日中関係というけれども、実際は日台関係だよ」と口癖のように外務省職員に語っていたという記述がある。日中関係を考える時に、寛大な戦後処理をしてくれた蒋介石率いる台湾との友好関係をどうするかが、頭の痛い問題であるという意味だ。
また、台湾派議員のリーダー的立場だった椎名悦三郎自民党副総裁は蒋介石の台湾を訪問し、日中国交正常化の経緯とその後の日台関係についての説明をすることになる。彼ら特使一行は当然手洗くもてなされる。この一行に加わっていた外務省の事務官の若山喬一は、後に「日台関係、日中関係といっても、実際は日日関係の部分が非常に大きいのですよね」と述懐している。つまり、日本と中国との関係、日本と台湾との関係は、国内の中国派と台湾派との関係に尽きるということなのだ。
つまり、「日中関係は日米関係」「日中関係は日台関係」「日中関係・日台関係は日日関係」というようにぐるぐるとまわっており、外交というものは国内政治の反映ということがよくわかる。

また、この書は政治家のリーダーシップにも焦点をあてている。
田中角栄は、「政治家というのは最も権力があるときに、最も難しい問題に挑戦するのだ」と訪中前に語っている。毛沢東周恩来が健在なうちに、そして自の最も力の強いうちにやらなきゃならないとも言い、この交渉に死ぬ覚悟で向かうのである。しかし、その田中は大平外相に交渉は任せて、機嫌よく過ごす。修羅場で「大学でのやつはこういう修羅場になると駄目だな」と笑い、「君らはちゃんと大学を出たのだろ。大学を出たやつが考えろ」と言い、部屋中が笑い声に包まれた。宰相の腹の据わり具合、度量が一行の心を明るくした、

相手の中国はソ連との軋轢に悩んでおり、すでにガンで余命を限定されていた周恩来首相もこの交渉をまとめるために大いに骨を折っている。双方に力のあるリーダーがそろっていなければ、こういう大交渉はまとまるものではない。

大局的見地から賠償請求を放棄した毛沢東・周音来によって、押し込められた中国の人心はいずれ表面化するだろうといいうことに日本の指導者は自覚的であった。大平が首相になって対中円借款に着手したちきには、賠償のかわりという意識があったようだ。現在も続く巨額なODAもその延長線上にあるということだろうか。

以下、参考になった逸話。
田中角栄)演説のこつ「それは、間があるからだよ、ぼくのはなしには」。椎名悦三郎座右の銘「省事」、重要なことに専念し、大局的見地から行動する。

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話題の「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観た。
笑いと涙の心に沁みる映画だった。茶川竜之助の吉岡秀隆と、古行淳之介の須賀健太の、別れのやり取りが良かった。今回は1964年頃の世相や小物がうるさいくらい多く登場していました。「幸せ」がテーマ。