足利フラワーパークの見事な藤棚
思いがけず、素晴らしい藤棚を堪能した。ここは素晴らしい。600畳(300坪)の大藤。
早川和俊さんの早川農園から日本初の女性樹木医・塚本こなみ園長が移植に成功。著書に『奇跡の樹』。
フランシスコ・ザビエル
「最も大にして最も有名なる坂東の大学」「四方より攻学の徒雲集す」
「都の大学の外に5つの有名な大学がある。高野、根来寺、比叡山、近江、坂東。都を去ること、最も遠く学生の数もはるかに多い」
ルイス・フロイス
「最も重要な足利の大学でキリスト教を広めることができれば日本人のキリスト教への改修は簡単だろう」
足利学校のある地は「昌平町」という。東大の前身である昌平黌と関係があるそうだと思っていたら、中国の孔子が生まれた山東省の町の名が昌平だった。
小野篁が842年に再建、平安時代の貴族・歌人。参議。野相公。
足利義兼が1439年に再建。関東管領。足利氏家の先祖。
上杉憲実(関東管領)から三代にわたって保護。
秀次が書籍を京都に運んだが、徳川家康が返還させた。以後、徳川家が保護。火災や寺子屋の隆盛で衰えた。
儒学中心の教育。易学、兵学、卜学、医学、経学。軍師を育てる学問。
「足利学校流易学」は有名で武田信玄も信頼していた。甲陽軍艦に記述がある。
最勢期は学徒3000人を数えた。
足利学校を訪れた人々は、林羅山、渡辺崋山、広瀬旭荘、吉田松陰、高杉晋作、佐野常民、東郷平八郎、上村彦之丞、徳富蘇峰、渋沢栄一、黒田清輝、井上馨、根津嘉一郎、九鬼隆一、乃木希典、嘉納治五郎、新渡戸稲造、、、などそうそうたる人物が訪問している。
それに比べ学んだ人に人物がいないのは不思議だ。歴史に名が残っているのは天海和尚くらいなものだ。