徳富蘆花の人気エッセイ「みみずのたはこと」--美的百姓生活

徳富蘆花の代表作の一つ「みみずのたはこと(岩波文庫」は、蘆花の考えがよくわかるエッセイ集だ。
かなりの長期間にわたってベストセラーを続けている。108版には11年で10万余部となっている。
この著書から、蘆花は蘆花という雅号を廃し、本名の徳富健次郎で出版していく。
1977年に書かれた巻末の解説は中野好夫である。

みみずのたはこと 下 改版 (岩波文庫 緑 15-6)

みみずのたはこと 下 改版 (岩波文庫 緑 15-6)

「みみずの真似して、土ほじくりする間に、折にふれて吐き出したるたわ言共をかき集めたるものなり」「土の洗礼を受けて武蔵野の孤村に鍬をとれる著者が、折に触れ興に乗じて筆を走らせし即興のスケッチ、短編小説、瞑想、書簡、紀行等を集む」「年40にして初めてしかと大地に脚を立てた最初の記録です」

上巻に「彼は美的百姓である。彼の百姓は趣味の百姓で、生活の百姓では無い。」から始まる「美的百姓」という項がある。この短いエッセイの最終部分は、こうだ。

彼は昔耶蘇教伝道師見習の真似をした。英語読本の教師の真似もした。新聞雑誌記者の真似もした。漁師の真似もした。今は百姓の真似をして居る。真似は到底本物で無い。彼は終に美的百姓である。

変転の多い起伏に富んだ人生をこの数行で表している。同志社での学び、兄徳富蘇峰の雑誌記者、、、。漁師は私の記憶にないが、巡礼紀行を終えてトルストイのすすめる農業生活に入る、そして最後は美的百姓で終わる。
すべてが本物ではなく、真似であったというのが人生の総括だったのだろうか。

都心の青山から人力車で1時間半かかる武蔵野粕谷へは、自動車ができたことで30分の距離となった。
そして1912年に敷設工事が始まり笹塚調布間で運転を始めた京王電鉄のことも話題に出てくる。東京の寺院墓地移転用敷地2万坪買収事件に対する憤慨など、興味深い叙述もある。新宿から府中まで開通して朝夕の電車が東京へ通学する男女でいっぱいになったり、この村から夏の夕食後にちょっと九段あたりまで縁日を冷かしに行って帰ってくることができるようになったとの記述もある。

「世界一周して見て、日本程好い処はありません。日本では粕谷程好い処はありません。諸君が手をたたいて喝采しました。お世辞ではありません。全然(まったく)です。

この気いにった場所で「幼稚な我儘とと頑固な気まぐれ」の持ち主で、兄から「多情多恨」と言われた蘆花は、土の生活に入った。長短のある気ままなエッセイは当時の田舎の生活と筆者の感覚を伝えてくれる。やはり蘆花は文章がうまい。

この徳富家は、父は93歳、母は91歳、そして兄は94歳で亡くなっているから長寿の家系であろう。ただこの健次郎蘆花だけは60歳でみまかっている。

京王電鉄の蘆花公園という駅の名前を聞くたびに蘆花と蘇峰の兄弟のことを思い浮かぶ。

                                          • -

高倉健主演「あなたへ」を観る。内容よりも、主演の高倉健について。
高倉健の6年ぶりの映画だ。パンフレットに高倉健のインタビューが載っている。
しばらく映画にでなかったのは、
「ただ作品を撮って、お金をもらっている生活が、とても虚しく感じてね。」

この作品を終えての感想。
「もっと自分は仕事をやらないといけないと思いました。仕事をするというのは新しい人と出会うことですから。出会う、というのはいいですよね。」

1956年以来2005年までの約50年間に204作品だから、1年に4本というペースでコンスタントに仕事をしてきた大スター高倉健にしても、仕事が虚しくなり、もう一度仕事をするとまた元気が出るという繰り返しなのだろう。仕事というものの不思議さでもある。

                                                                              • -