山梨市の根津記念館(根津嘉一郎)

山梨市の根津記念館。

政財界の巨頭、数寄者でもあった鉄道王根津嘉一郎の本拠地・山梨の迎賓館であり、地主経営の場であり、居住空間でもある、巨大な館が今は記念館になTっている。近代和風建築の粋を凝らした建物だ。

この人は先輩の言葉を素直に受け入れて実行し、成功をおさめているという印象だ。

  • 人は短い一生の中にお国のために何か善い事をして置かねばならぬ。
  • 人間というものは、他人の恩になれば一生頭が上がらないもんだ。(父)

雨宮敬次郎(1846-1911)。山梨出身の投機界の魔王のアドバイス。

  • 投機よりも事業を起こせ
  • 相場などで一時の利益を逐ふよりも事業を経営し事業を盛り立てて、其の利益を享受することにせよ」
  • 成功の秘訣は先ずどこに無駄があるか、どこに不正があるか、不生産的な費用は早く削除してしまふ事である。それが出来たところで、初めて外へ向かって拡張する。
  • 成功は誠意と努力に在り

この人は人材を多く育成している。
正田貞一郎(1870-1961)。日清製粉
山本為三郎(1893-1966)。大日本麦酒常務、初代アサビール社長
宮島清次郎(1878-)。日清紡社長。

社会貢献活動にも見るべきものがある。
武蔵高校の創立。山梨県下の全小学校にピアノなどを寄付、根津ピアノと呼ばれる。
こういう活動は、ロックフェラーに学んだ。

根津嘉一郎の略歴。
万延元年6月15日〜昭和15年1月4日(1860〜1940)
山梨県の商家に生まれる。県会議員などを務めた後、企業の株取得を通じて会社経営に乗り出す。現在のアサヒビール富国生命など多くの企業の再建に手腕を発揮した。「ボロ買いちろう」と揶揄されたほど、経営難に陥っている会社を多く買収したが、それらを見事に再建させた。ボロ会社と言われていた東武鉄道を一躍優良企業に変貌させ、また、東武鉄道をはじめとする24社にのぼる鉄道会社の経営に関係したので「日本の鉄道王」と呼ばれた。事業以外にも、武蔵高校(現:武蔵大学)の創立や、古美術収集などにも精力を注いでいた。また1904年からは衆議院議員を連続4期、1920年からは貴族院議員もつとめている。

郷里の先輩の若尾逸平から「金儲けは株に限る。株は運と気合だ」と言われ株の世界に入る。「乗り物」と「灯り」というキーワードをもらった嘉一郎は、東京電灯株を徐々に買い占め、ついに経営権を手に入れる。そして渾身の力を尽くして、東武鉄道の再建を依頼され社長に就任し、コスト削減とリストラを行い、成功する。日光線を成功させ、ボロ会社は一気に優良企業になった。

根津嘉一郎が経営を手がけた企業は、日本第一麦酒(現:アサヒビール)、富国徴兵保険(現:富国生命保険)、日清製粉などがある。

根津嘉一郎は自らを「生涯、他人に使われたことがない」と話している。多くの実業家は丁稚からたたき上げ、功労を積み、出世街道を登りつめたが、根津嘉一郎は生涯一匹狼を通し、人の下僚になり、使われた経験や人の恩顧を被った経験を持たなかった珍しい人物だ。

「会社再生の秘訣は、どこに不正と不合理があるか、その病原を退治することが一番近道である」