我身自らたいまつとなりて世界を照らすなりーー中津広池千九郎記念館


講演に備えて中津に帰った。
少し時間があったので、モラロジー(道徳科学)の提唱者である広池千九郎記念館を訪問。千葉県柏市にある麗澤大学の創立者だ。中津は、慶応大の福沢、神戸大の水嶋、麗澤大学の広池と大学を創った人が多い。
自宅から車で10分ほどのところに記念館があったが今まで知らなかった。
670坪のよく整備された敷地に、2年半ほど前に整備した生家と資料展示館が建っている。
広池千九郎(1866ー1938年)は、25歳で「中津歴史」を書く。旧藩の文献、史料、古老の聞き取りなどの実証研究。上下巻、480ページ。地方史の先駆けてきな業績である。

富岡鉄斎(1836ー1924年)に師事。

明治28年には東京で「古事類苑」の編集員になる。これは文学、法律、政治、宗教等の30部門、2万余項目を網羅した大百科事典である。35年の歳月をかけて古代から明治までの歴代の制度、文物、社会百般を原文のまま採録している。
広池は12年6ヶ月間従事している。全体の四分の一を書いた。

昭和3年、62歳の時に「道徳科学に関する論文」を刊行。新渡戸稲造は「世界を平和に導く、東方の光」と紹介している。


真正の歴史とは、年代記、電気、系図等をその材料に供し、地理学、言語学、人類学等の学理をこれに応用して、神社社会の変遷栄枯に関する事実の系統を明らかにし、もってその複雑紛糾を極むる人類の行跡について一定不動の法則あるを示すものである。

道徳科学。
人類の歴史、孔子、釈迦、ソクラテス、キリスト等のショ諸聖人、ならびに日本の皇室に一貫する思想と道徳、近代諸科学の研究成果、自己の経験を総合し、普遍的、実践的な道徳に関する新しい学問体系。

国際戦争。「その財産は大砲もしくは小銃の丸(たま)となって煙と消え、美麗なる都会は飛行機の投弾によって、一夜の間に焦土となり、せっかく育て上げたところの子供はみな戦場の露となりおわるのであります。」
「かくて南中国在住の日本人全部を第三国軍隊に託して、日本軍全部引き上げのこと宜しと存じ参り候」
鈴木貫太郎侍従長あて。昭和7年2月3日)

教育愛に燃えた青年時代、29歳まで。
真に意義ある生き方を求めて。29ー57歳。
生涯教育のスタート。57ー68歳。
慈悲魂永遠。69ー72歳。

エネルギーの塊のような人物だ。