母・久恒啓子の第三歌集「明日香風」が届く

85歳になる母親の久恒啓子から新歌集が届いた。

以下、「あとがき」。
『歌集「明日香風」は、「風の偶然」「風あり今日は」に続く第三歌集であります。平成16年から今日に到るまでの約8年間詠みためた歌の中から五百首を選んでほぼ制作順に収録いたしました。
十五年間病床に臥していた夫を見送り、
 夕映えのごとき充足の日々を願ふ夫亡きあとのいましばらくを
と歌ってはや十年が経ちました。ここでその間の歌群を編みたいと思いたちました。第一、第二歌集共に「風」ついた題名にしましたので、この歌集も風に因んだ題をと思いました。
思えば夫を介護していた日々は自分の時間が極端に少なかったのですが、夫亡きあとはすべてが自由な時間、ややもすると怠惰に流れやすく、自らを鞭打って、先に出版しました「万葉集の庶民の歌」をテキストに、公民館で万葉講座を開いております。そして十五年、友人らと共に学び、毎年、九州の万葉歌碑を訪ね歩いて、私のめぐりはいつも万葉の風が吹いていたことを思いました。それで、
 采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く  志貴皇子
に因んで歌集のタイトルを「明日香風」といたしました。
これまで夫をはじめ兄、姉妹を次々と見送り枯草原にたち佇ちつくす思いで挽歌を歌ってきましたが、これが彼らの魂鎮めになればと思っております。これからは子や孫、曾孫と新しい命との触れ合い、社会につながる日常の風を歌って、生きた証といたしたいと思います。
ご多忙のところ「波濤」の中島やよひ様はじめ関係者の方々にはお世話になりました。そして波濤双書に加えて頂きましたこと、深く感謝いたします。又、歌集刊行にあたり、後藤マサエさん、磯田温子さんにはお手数をかけました。出版をお引受け下さいました短歌研究社の堀山和子様、菊池洋美様には懇切なお力添えを頂き有難うございました。
 平成二十四年九月              久恒啓子』

                                          • -

さっと読んで気に入った歌を以下に記す。

水仙の咲けば思ほゆ敗戦後米と替へたる晴着の模様
不良老女になれる心地す「めぐり逢ひ」「シカゴ」と映画の梯子してゐて
濃く淡く若葉萌えたつみちのくの青葉城址はみどりの錦
子のもとへ行かむかこの家死守せむか貝殻細工の風鈴が鳴る
もうひとつ釘うつ思ひに書き溜めし「私の伊勢物語」纏めむとする
残る世のいつまであらむ水晶体替へて未来の景色みつめむ
竹の杖突きて子の手にすがりつつ石段のぼる岡城さして
青空を誰がのぞくや窓のある側面瞬にプレスされたり
如何なる未来がふりかかるらむこの曾孫花の唇しっかり閉じて
山あひに湧きて消えゆく桐のごとき交わりなりしか友は去りたり
スーパーが倒れてしばらく後に来しコンビニもたたむこの街の角
万葉集の庶民に焦点をあてて書け」といふ師にひたすら励みきわれは
「未通娘らが放りの髪」と詠まれたる由布岳聳ゆ雲なびかせて
退却を転進といひ、全滅を玉砕、敗戦を終戦と言ひき
若き夫が幼き子らを連れてくる古きアルバム見てゐるわれに
此の頃は日本の政治はをかしいと沈氏は言へり遠慮しがちに
年老いし恋人に逢へる心地しぬ青島旧市街の壁の崩れに
わが町をたちまち灰色の雲おほふ横松先生逝去と聞きて
くれなゐが下にゆくほど青む蔦 色に重さがあるかのごとく
車の屋根にはんぺんのごとき雪を乗せ連なりて来る東北道
重力のある世は辛し水中の浮力たよりて大股に歩く
夫の介護に曲りし指を娘は撫でつつ座席に隣る飛行機の中
敗戦ののちの貧乏競ひて話す楽しむごとく
右によれば右 左に寄れば左へと遺影の夫の目われを放さず
姑、母、夫逝きて子らも去りゆけり二十四時間わがものとなる
手を振りてひらりと背を向けお先にと君は逝きたり桜を待たず
子の妻をジェネラルマネージャーと言ひつつ過す数日間を
八王子、横浜、市川と子らの住む街を結べば不等辺三角形
兄弟姉妹それぞれの挽歌うたひあげ枯草原に佇ちつくしゐつ
眠りしまま逝くかも知れず口紅を引きつつニッと笑みて寝につく
子の家の借景長池公園は緑したたる樹樹となりゐつ
√3の開けずといふ封をせし少女の頃のわれの恋文
地方都市の税務課固定資産税係やうやく職得し孫の仕事は
十数年用ゐし「万葉集の庶民の歌」書きこみあまた角すり切れぬ
花嫁と腕組みバージンロードを歩む子よゆっくりと呟きてゐつ
「街角で又逢はうね」と火葬せむ父との別れに甥のつぶやく
放射能水質汚染に曾孫たち逃れ来たりぬリュック背負ひて
「書を読むときも思はるる人」と詠みくれし夫逝きてより十年の経つ
夫亡きあとの夕映えしばしと願ひたるその夕映えの十年が経つ
父と母、兄弟姉妹みな逝きて記憶の中のわれも死にたり
姑と母、夫を看とりて二十年余それをいふなと娘に言はれたり
ひなざかる九州にひとり暮らすのも子孝行と決めて日びをいそしむ
悔みごと言はずと決めし唇を鏡に写す口角あげて
出逢うひし日を思ひて長く介護せしと言ひたり病める夫もつ友に
シャガールの絵となり父母と兄、姉妹空をゆく ひとり見上げぬ

                                  • -

夜は、元祖・ザ・クラブの同世代のメンバーと渋谷のホテルで食事会。