岡田紅陽写真記念館-「一度でいいから会心の一枚を撮ってみたい」

先日の山中湖・河口湖への旅で訪問した人物記念館の報告。第一弾は写真家の岡田紅陽。
紅陽の愛した忍野村に岡田紅陽写真記念館がある。

紅陽という号は、夜明けの紅富士からとった。富士の山肌が紅に輝きだす夜明けの荘厳な姿に感動し浮かんだ言葉である。この人は「富士こそわがいのち」と言ったのだが、その言葉通り、生涯を賭けて命がけで富士山の写真を撮り続けた。約40万枚の原板がある。一つとして同じ構図のものはない。記念館の写真はどれも息をのむような美しさだった。
早稲田の19歳の時に河口湖湖畔で富士山と出会ってから77歳で没するまで富士一筋の生涯だった。岡田紅陽は、1895年新潟県十日市生まれ。

早稲田在学中に、大隈重信学長から「目的に向かったら命を捨ててかかれ」という訓諭があり、「そうだ。一生を棒に振ってもいい。早く悔いのない目的を探してそれに命を捨てるつもりで頑張ることが先決だ」と決心する。

関東大震災の惨状を撮りまくり写真集や絵はがきを出すようになったり、富士山の写真が評判を呼んだりするようになり、写真家としての道を歩み始める。

ムッソリーニ
「日本の皆さんは幸せです。日本には富士山というシンボルがある。あなたはカメラマンとして世界では見られない富士山を題材にこんなすばらしい写真をお撮りになっておられる。羨ましい限りです」
ピカソ「すばらしいアブストラクトだ」

富士山撮影4箇条
「瞬間を逃さずにシャッター。距離と山の大きさ。光線の角度の予備知識。小型カメラでは山頂から4-5里がもっともよい。」

紅陽は制作日誌を書き続けている。
使用したカメラ、レンズ、フィルター、乾板とフィルム、露出、絞り、現像、印画紙などを詳しく記している。同じ被写体を二度と撮らない、同一の失敗を二度と繰り返さぬ、戒めの手段である。こういう心掛けが紅陽を生んだのだろう。

現在五千円札の裏側の「本本栖湖の富士」は紅陽の作品である。郵便切手への採用も30作品を超えている。

徳富蘇峰
「富士山をこれほど美しく、気高くとれる写真家はほかにいない」
「好漢紅陽子 探奇抜入神 乾坤不二岳 面目依君新」
川端康成
「さうした日本の富士山に、近代、写真が加わった。そのもっとも美しく、気高いのが岡田紅陽の写真であるのは言ふまでもない、、、古来の画人、文人にも、50年を富士一山にのみ取り組み、打ち込んだ者はあるまい」

富士山―紅陽会写真集

富士山―紅陽会写真集

岡田紅陽

  • 彼女は全く稀にみる妖麗な美人ではあるが、気まぐれな、しかも神経質な女性でもある。、、、全く私は手に負えないむずかしい恋人を持ったものである
  • 一生に一度でいいから会心の一枚を撮ってみたい
  • 富士をみたいなあ
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