「奇跡のクラーク・コレクション」(三菱一号館美術館)

三菱一号館美術館で「奇跡のクラーク・コレクション--ルノワールとフランス絵画の傑作」展が開かれている。

アメリカマサチューセッツ州にある美術館は、美術館と研究・教育センターの機能を持っている。この美術館はスターリングとフランシーヌ夫妻が、生涯を費やして集めた欧米の絵画、版画、素描、イギリスの銀器、陶磁器などを所蔵している。
特にクラークからの評価が高かったルノワールは30点以上ある。この素晴らしい美術館は、「新しいアイデアが浮かぶ場所」「優れたアイデアを育む温室」と呼ばれている。

増改築・改修工事の3年間、世界巡回展を開催している。この工事は安藤忠雄が担当していた。

スターリング・クラーク(1877-1956年)の祖父はシンガーミシンの共同経営者で大きな富を得た。この富が美術品収集の原資だった。

スターリングは、イェール大学で工学の学位を取り、その後は陸軍志願兵として中国で義和団の乱をみる。除隊後、また中国に戻り山岳地帯を探検を行っている。
遺産を相続したスターリングは、家族のしがらみから離れるためにニューyヨークからパリに移る。そこで1歳年上のフランス女優・フランシーヌ(1876-1960年)と知り合い、1919年に結婚する。

「画家として彼(ルノワール)を超える者はいあにし、色彩家として彼に匹敵する画家はいないということだ」。

1956年、クラークは自ら創りあげた美の殿堂で、愛しいコレクションに囲まれて亡くなった。コレクターしては最高の死に方である。

一生かかっても使いきれない財産を相続したら、人は何をするだろうか。
クラークは、一事探検に情熱を捧げたが、美術品のコレクションンを終生の志として、それに賛同する伴侶を得て、奇跡のコレクションを創り上げた。
コレクターという人生もある。

今回、ルノワールの作品をたくさん観たが、素晴らしい傑作だらけだった。

「うちわを持つ少女」「劇場の桟敷席」「「シャクヤク」「鳥と少女」「縫物をするマリー=テレーズ・デュラン=リュエル」などが印象に残った。
ルノワールの自画像は、30代の頃のと晩年の二つがあった。

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夕刻、P出版社の鈴木さんと軽く飲みながら出版の打ち合わせ。
今後の進め方を相談。私の著作の中でもエポックメイキングな大事なものになるので、慎重に仕上げていきたい。