倉田百三「親鸞」。桜満開の昭和記念公園。香惇皇后展。

倉田百三親鸞」(角川文庫)を読了。
倉田百三(1891−1943年)は、大学時代に「愛と認識との出発」をむさぼり読んだ経験がある。懐かしい名前だ。その倉田が親鸞をどのように料理しているのかに興味があり読んでみた。

親鸞 (角川文庫)

親鸞 (角川文庫)

親鸞法然から妻帯を命ぜられる。女色のためではなく方便として犠牲になれ、肉食妻帯のまま修業するという大きな課題を与えられた。その結果、念仏仏停止の処罰を受け、法然は讃岐、親鸞は越後に流罪となる。親鸞は「南無阿弥陀仏」とのみ唱えれば往生できるとの真宗を開く。親鸞の最初の妻は流罪の途中で亡くなり、二度目の妻・恵信尼との間に一男一女を設ける。恵信尼の助けを借りて「教行信証」を完成させる。
流罪を許されて、20年の歳月、二つの土地で布教し成功する。そして60歳にして安逸な成功を捨てて、家族を残し布教行脚に入る。そして京都に入る。壮絶な90年の生涯だった。

以下、抜き書き。

  • あすありと思うこころのあだ桜 夜半わに嵐の吹かぬものかは(9歳)
  • 経釈を詳しく知っているということが何の役に立つといういうのだろう
  • 漁師は漁師、商人は商人のまま、念仏申せばよろしい
  • 自力と他力との優劣は所詮は機と時による。勝機の者には自力まさり、劣機の者には他力まさる。
  • みな念仏同行衆でおざるよ
  • それから20年の歳月は流れ、自分はもう60歳だ。今にして晩年の一奮起をしないなら、自分は結局名利の凡僧となり果てるであろう。
  • この親鸞はまだ60、このまま安逸にとどまる時ではおざらぬ
  • 信心に証拠はおざらぬぞ。
  • その苦しみも、恥じもそのままに、逃れぬものとあきらめて、そこに大悲のみ念仏の名を呼ぶを念仏往生と申す

解説は武者小路実篤
「さすがによく材料をこなしている。」「親鸞と倉田が共に生きているところが面白い」「一寸倉田以上に親鸞の真髄をつかんで表現することは他の人にはできないのではないかと思う」

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立川の国営昭和記念公園で桜を堪能する。

昭和天皇記念館で「香惇皇后展」を観る。

香惇皇后(1903−2000年)は、昭和天皇のお妃。雅号は桃苑。画集や歌集がある。20歳で昭和天皇と結婚。
バイオリン、日本画、書、組紐、ピアノ、声楽など多彩な趣味を持ち、また昭和天皇の影響で植物や貝類の観察にも興味を持っていた。日本画は、川合玉堂前田青邨に学ぶ。