行徳先生の名講義。松本重治「上海時代(上)読了。

行徳先生

  • 歴史を学ばないと今は見えんぞ。法隆寺弥勒菩薩。「最高の美しさ、気高さ」「過ちを犯した人だ」(ヤスパース)。過ちだらけで生きよ。
  • 野性の鴨。デンマークのジーランド。翔べなくなった鴨。トム・ワトソンの「野鴨であれよ」が今のIBM。
  • アサヒビールの中条会長こそ野生の鴨。芥川の茂吉宛ての手紙「野性が欲しい」。はみ出せ、飼いならされるな、野生に生きよ。野生の哲学を持て。
  • キルケゴールは野生の哲学。せむし、屈折。ジーランドに転地。悪の根源は安楽だ。安楽は悪魔の使徒である。
  • 平和ボケの日本。カンボジアの虐殺の広場。鹿児島知覧の特攻隊の記念館。映画「蛍になって」。気の喪失が病気。気集まれば生、気散ずれば死。幕末の春日せいなん「短所、欠点なき人は語るに足らず」「無謀に」。
  • 人をときめかせる何かがあるか。原宿を創った松本は10万円を240億円にした。「どきどき、わくわく」。大富豪モルガン・スタンレー
  • 感性の時代が来る。ときめきの時代だ。ときめきが命をつくる。考え込んでも解決しない。感動とは感じて動くこと。感じること、即ち動くこと。感じさせないと動かない。
  • 知に偏るな。感動できる人間になれ。自分にもどる。京都伏見工業の山口良治監督の物語。やさしさの中にこそ強さがある。「強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格はない」(レイモン・チャンドラー)。心の時代。
  • 多摩大。建学の精神。自由。エネリギーとダイナミズム。鶏口となるも牛後となるなかれ。若者が歴史をつくる。橋本佐内25歳。明日何が起こるかわからない、この面白さ。松岡修造「勝ちにゆく時が来ました」「修造を極めろ。修造を倒せ、戦え」。富岡鉄舟と西郷。
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松本重治「上海時代--ジャーナリストの回想」(上)を読了。感銘を受けた。

満州事変後の排日・抗日の嵐の中でジャーナリトとして上海に赴任した松本重治(1899-1989年)は6年間(1932-1938年)にわたって日中関係をテーマに仕事をする。内外の政治家、外交官、財界人、ジャーナリストとの多彩な交友を重ね、日中関係の正常化と和平の実現に尽力する。全3巻の上巻。当時の中国の指導者はほとんどが日本留学の経験者だったのには驚く。

東大を出たが官禄を食むことはしたくない、会社や銀行にも入りたくないとブラブラし、アメリカに留学をする。そこで漠然と「国際的ジャーナリスト」になりたいという希望と、アメリカと中国について関心を抱くようになる。1929年の京都での太平洋会議のセクレタリーとして参加。その後、この会議の延長線上に、多くの「奇縁」とともに人生が展開していく。

  • 日米関係の核心的問題は中国問題である。日米関係は日中関係である。
  • センス・オブ・プロポーション。大きいことと小さいことを識別する能力。グラスプ・オブ・シングス。物事や問題の核心を把握すること。まず先立って自らの国民文化を深く研究しなければならない。真に国を愛するものにして初めて、真に世界にその目を開き得るからである。」(新渡戸稲造
  • 取材三原則:ギブ・アンド・テイク。最も大切なのは信用。ニューズをクリエイトする。
  • 日本の事情の大綱を十分ぐらいで説明し得る能力を養う
  • 表面は抗日、裏面は反蒋介石
  • 一流の人間はみんなそうだが、、、恰好をつけるような気配は微塵もなく、一見旧知のような話しぶりだったが、」さすがに物腰は礼儀正しいものでああった。
  • 日中関係を大切にするためには、第三国との関係、とくに日英関係を忘れてはならぬ。
  • 中国の問題は、騒がずあわてず、落ち着いてやることだ。これのみが両国を本当に力強く結びつける方法である(有吉中国大使)

内外の主要な人々が松本重治のまわりを巡る。どの人も国益を念頭に置いて国際関係を考え仕事をしていく。立派な日本人と立派な中国人が織りなす絵柄としての歴史は大変に興味深い。日中戦争前後の事情と雰囲気がよくわかる。
中巻・下巻も読みたい。梁啓超という人物を調べること。
松本重治は館長を務めていた六本木の国際文化会館を改めて訪問したい。日航時代はこの会館には縁があってよく訪れていたが、ここを舞台に国際関係の歴史がつくられていったのだ。