「林真理子の名作読本」から--断定・分析・比喩・継続

林真理子の本はまともには読んだことはない。
たまたま手元にあった「林真理子の名作読本」(文芸春秋)を読んでみた。

林真理子の名作読本 (文春文庫)

林真理子の名作読本 (文春文庫)

東西の54冊の名作とそれを書いた作家を論評するという代物で、面白く読みふけってしまった。
一冊について原稿用紙5-6枚のクレアでの連載をまとめたものだが、この作家が女性に人気が高い理由がよくわかった。目線は高いが、読者の女性と同じ女性としての作家や主人公への深い視点が共感を呼ぶのであろう。こういうエッセイ的な文章は本音がでる。

女性の生き方、年の取り方に関する考え方や智恵が記されており、同じ職業を営む作家に対する尊敬と共感と同情、そして深い人間観察もあり、読みながら確かな手ごたえを感じる本だ。

「生きていることが芸術」だった白洲正子。「古きよき時代のつつましく美しい日本人」を描いた池波正太郎。本物の自由と孤独をじんわりと味わう幸福をしっていた林芙美子。「隠れ技の天才」向田邦子。、、、。

林芙美子「放浪記」を論じた冒頭は「昔も今も、日本の男というのは、野心的な女が嫌いである。」との断定から始まる。宮尾登美子「櫂」では「宮尾登美子氏の本を、あなたがまだ読んでいないとしたら、それはとても不幸なことである」も同様だ。「宮部みゆき松本清張の長女である」。
この人の文章にはあいまいな物言いはなく、「のだ」「である」などの文末が多い。この断定が読者を魅了している。断定される快楽である。

三島由紀夫鏡子の家」などでは「これはまさしく私のことではないか」と驚きを示す。小説の愉しみには、自分では表現できない感情や本音を代わりに表現してくれ嬉しくなることがある。林真理子のこういう感情は、彼女の愛読者の感情でもあるだろう。

ここにあげた本は林真理子が好きな本である。なぜ好きかというところを見ていくと、「静けさに終始」「静謐を保ち」「清潔」「ピュアなもの」という言葉が目につく。表面的な風俗や事件を描きながら、冷徹で静かな作品が好みのようだ。

小説の登場人物には、読者の自分が投影される。平穏な人生を歩む自分のなかにある性的、金銭的な危険さ、危うさをさぐりながら読んでいるのだ。読者は共感しながら疑似体験をしている。

以下、私にも参考になったところ。

フィクションは作家で選ぶのに対し、ノンフィクションはテーマで選ぶのが正しいそうだ。そしてノンフィクションでもあるルポルタージュの肝は比喩にあるとする。比喩こそは作家の価値を高めるキーワードでもある。

「見たことや体験したことをだらだらと書くことは、誰にも出来る。桐島(洋子)さんの凄さは、自分の見たものを分析し、それを実に的確な言葉で組み立て直すところにあるのだ」は、心したい言葉だ。

「作家というのは書き続けることによってしか、過去の栄光の重圧に耐えるすべはないのだ」と言い、しだいにずぶとい神経ができあがっていく。それが「成功の咀嚼」の方法である。

そういえば、JAL時代に林真理子への取材のために、ご自宅にうかがったことがあることを想いだした。

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新日曜美術館」でジョー・プライス本人を見た。この人は「エツコ&ジョー・プライスコレクション」で有名な絵画コレクターだ。まだ存命だった。

「プライス 若沖と江戸絵画」(東京国立博物館)−−−蒐集家という人生
http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20060818/1155826800

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