「鳳が翔く--栄久庵憲司とGKの世界」展(世田谷美術館)

砧公園の中にある世田谷美術館で「鳳が翔く--栄久庵憲司とGKの世界」展が始まった。

インダストリアルデザイン(工業デザイン)の分野の開拓者であり、名前をよく見る。
また、「鳳が翔く」(おおとりがゆく)というテーマにも惹かれてみてきた。
北の果てに数千里ものからだを持つ「こん」という魚がおり、一旦海を飛びたてば、まるで大空をおおう雲のような数千里もの羽をした鳳に姿を変え、南の果ての海まで天を翔ける。
「燕雀(ツバメ・スズメ)安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という諺の「鴻」(オオトリ)が鳳のことだ。大鵬も同じ意味。「鵠」はコウノトリで大きな鳥。史記に出てくる。

「茶碗から都市まで」では、JALシェルフラットシート、NEX、JRA、栓抜き、ちりれんげ、アイメイク、新仏壇、、、、などが展示されている。

以下、ビデオの中での言葉から。
道が具わっているもの。人の生きる姿・道が具わっている。
道具は欲の世界のあらわれ、いい欲と悪い欲がある。刀は美しいがドスにもなる。

80歳を機に人生を振り返った書を書いた。「デザインに人生を賭ける」。
栄久庵憲司(1929年生)は、東京生まれ。浄土宗のハワイ開教区開教師としてハワイに渡った父に従う。ハワイの小学校に入学するが、2年生になって帰国。府立五中(小石川高校)を経て、海軍兵学校に進む。終戦後福山誠之館中学に編入。京都の浄土宗仏教専門学校(佛教大学)で学び僧侶になる。そして東京芸大図案科に入学。東京では学生、広島では僧侶の生活を送る。
芸大では、小池岩田郎助教授に出会う。小野は英国のウイリアム・モリスや考現学今和次郎の影響を受けて、民芸運動に身を投じた人物である。この小池を中心に現代の松下村塾「グループ・オブ・小池」(GK)を結成。
ここからインダストリアルデザインの道を切り拓いていく。日本楽器(ヤマハ)の川上源一社長からのピアノのデザインの依頼、丸石自転車からの婦人用自転車、などを手がける。
1956年位はジェトロのデザイン留学生でアメリカ留学。カレッジで自動車デザインを専攻。
帰国後、GKインダストリアル研究所を6人で立ち上げ代表取締役所長に就任。
ヤマハのオートバイ、キッコ^−マンの卓上醤油瓶、亀の子たわし、山本屋の海苔、フランスベッド、、、。

その後、世界デザイン会議、日本インダストリアルデザイン会議、大阪万博のストリートファニチャー[道路標識やサイン、照明、ベンチ、ゴミ箱、トイレ、水飲み場、休憩所、、)、、。

1976年、国際インダストリアルデザイン団体協議会会長に選出されrが、1978年には49歳で心筋梗塞
名古屋での世界デザイン博覧会では愛知万博を上回る1500万人以上が来場。
JR東日本成田エクスプレスシンガポール空港の新交通システム、、、。

1994年、65歳で日本のデザインを考える会を設立
1996年、道具学会を設立、会長。
1998年、世界デザイン機構が誕生。デザインの国連
2000年、静岡文化芸術大学デザイン学部長(浜松)
2005年、愛・地球博に参画
2006年、秋葉原UDXの環境デザイン

道具とは、道を具えると書く。この概念はインダストリアルデザインよりも大きい。
日本人は思想を言葉で語るうよりも、モノのかたちで表現する。
「道具寺道具村」構想は、武者小路実篤の「新しき村」にような、生活と修道の場だ。
道具寺を囲むように、道具大学、道具工房、道具リサイクルセンター、道具墓地、道具劇場、道具博物館、道具市場、、などで構成される。
道具寺では道具千手観音、道具曼荼羅をまつる。道具道を修得し、モノづくりをする。

以下、栄久庵の言葉から。
「永遠の継続」がGKの務め
人格や物格
モノには仏性がある
地獄・極楽図というのは自分のデザインの理想の姿
モノを作ることは、モノの心を生むことだ
オフィスの「歳時記」をつくってやっていく
モノを作ること、デザインを作ることは、念仏を唱えることと一緒
デザインという職能の確立
地方物産に力を入れていきたい
自動車の値段と仏壇の値段とは、ちょうど釣り合っている
日本人は、物教徒
モノを見つめていると、だんだんと「仏」に近づいていく
回転力を失った独楽は醜い

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工業製品にも美があるというのは、生活用具に美を見出した民芸運動に通じる。民芸運動の発展がこの人の天命だったと思う。
梅棹忠夫先生が「アジア的基盤のひとつが、「モノにも心がある」という思想だ」と言ったとあるが、日本人がモノを心を込めて作るのにはそういう背景があると納得する。

インダストリアルデザインという分野の開拓者は、子どもの頃の海外経験、マネジメントでは海軍兵学校、浄土宗僧侶としての視点など、すべてを生かしながら、「道具道」を極めつつあるという感を深くする。