「漱石と松山」

台風接近中の中津にいる。父の13回忌。
大雨なので一日中、実家で休養しつつ、四国で入手した本を読む。
夜は、母と、弟夫婦、私たち夫婦が揃い、賑やかに、鱧料理を堪能した。

子規と漱石の関係を探った本が興味深かった。

漱石と松山―子規から始まった松山との深い関わり

漱石と松山―子規から始まった松山との深い関わり

大学予備門、東京帝大で同級生だった。
漱石は松山中学に赴任するが、子規は体を壊し、故郷の松山に戻る。このとき、漱石の借家に転がり込む。一階は子規が占拠し、二階は漱石が住んだ。一階での句会などに漱石も参加する。
また、漱石が熊本の五高に赴任するときは、途中まで子規も同道している。
二人は親友だった。

漱石は文名において早熟の子規よりも晩成だった。その漱石も50歳そこそこで逝ったから、早熟ともいえる。

この本には、漱石の本音や日常の姿が、本人の口や虚子など他の人の言から見えてきて、面白い。