継続ということ

JAL機内誌「SKY WARD」に連載中の浅田次郎「つばさよつばさ」の122回目の記事「涼しかったあのころ」を読んだ。
この連載はもう10年続いているとのことだが、毎回この作家の日常が滑稽味を交えて書かれている。

今回のエッセイの始まりは、「暑い!」だ。
昭和時代の主な出来事と全国各地の天候と気温を一日のもれなくまとめた「昭和2万日の全記録」(講談社)を紹介し、このおかげで「昭和」を舞台にした小説を書く際に、リアルな記述が可能になるとのことだ。こういう資料をそろえているのでパソコン、スマホタブレットなどきのうきょう出てきた機械に敗けるはすはないと信じていると書いている。この作家は全部手書きである。
1969年の東京オリンピックあたりは、経済の転換点であると同時に自然環境の転換点でもあった。そのあたりから夏が暑くなってきた。昭和時代から東京の最高気温が4日続けて35度に達した日はない。今年の7月の猛暑やその後の8月の酷暑は、そういった流れの中で突出している。
最後の「誰のせいでもないから腹立たしく、誰のせいでもないから怖いのである。」という言葉も心に刺さる締めである。

毎回8枚ほどの原稿で122回目だから、原稿用紙1000枚に近付いている。そろそろ本になるのではないか。

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本日の日刊ゲンダイに野田一夫名誉学長が写真付きで載っていた。
「日本のエスタブリッシュメント・高校人脈からの系譜」という連載記事で、「成蹊高校」の巻だ。「高校時代は「零戦」の堀越二郎に憧れていたが、敗戦で、、」「ドラッカーを始めて日本に紹介」というタイトル。

野田先生はドラッカーでデビューしたのは30歳の頃だから、その後半世紀以上にわたってメディアでも活躍していることになる。

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