ルノワールとモネ--東京富士美術館「光の賛歌 印象派展」

東京富士美術館で「光の賛歌 印象派展---パリ、セーヌ、ノルイマンディの水辺をたどる旅」が開催中だ。
主催はこの美術館の創立者の池田大作氏によれば、この美術展は日本を含む世界9カ国、43美術館の協力によって成立した。「世界を語る美術館」をモットーとした東京富士美術展の開館30周年特別展である。

19世紀後半に生まれた印象派絵画は「生の幸福」を擁護する意味があった。都市のまじかに存在した、光あふれる自然や田園で生活を謳歌し、その喜びと幸福感を表現していった。この画家たちは浮世絵を初めとする日本美術に大きな啓発を受けている。

19世紀後半以降に花開く印象派に連なる系譜として、17世紀のオランダ風景画のホイエン(1596−1656)、19世紀前半のイギリスのターナー(1775−1851)、19世紀半ばのクールベ(1819−1877)、バビルゾン派のドービニー、そしてブーダン(1824−18989)、ヨンモント[1819−1891)らが先駆者であった。

18世紀半ばから始まった産業革命の進展によって、9世紀後半は、休日が増え余暇やレジャーが盛んになった。1830年代に開通した鉄道によってパリの人々の生活が変わっていったのである。
モネ(1840-1926)、ルノワール(1841−1919)、シスレー(1839−1899)、ピサロ(1830−1903)、モリゾ(1841-1895 )、カイユボット(1848-1894)、セザンヌ(1839-1906)などが活躍した。

パリに住む画家たちが、セーヌ河の沿って下流に住居を移していき、そこで自然と対峙し遂にノルマンディーに至るという構成だった。印象派は、室内絵画が中心だった画家たちの目を外に開いていった。

この展覧会に世界中から集めた作品はそれぞれに素晴らしかったが、特にルノワールの「ブージヴァルのダンス」とモネの「睡蓮」に強い印象を受けた。

「ブージヴァルのダンス」の愛らしい乙女は、職業モデルであったユトリロの母・マリー・クレマンティーヌがモデルと言われている。当時は17歳だった。そのマリーが生んだ私生児がユトリロである。父親ルノワールではないかとの推測もある。この母も私生児だった。母に愛されなかったユトリロは精神病を病んだ生活を送り、アルコール中毒になる。医者はワインをとりあげた。ユトリロはこれを契機に絵画に没頭してい巨匠となっていく。

モネはヴェルニーの自邸の日本庭園で「睡蓮」の連作を数多く描いた。水面の睡蓮、水の鏡にうつる空と樹木の投影。鏡のような水面に映りこんだ宇宙と水面の宇宙がイタチとなる時間を描いた。具象から離れて、抽象画の領域に達する絵画である。この連作が話題になり、その後の印象派の代表作となった。

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同時代史
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