小中陽太郎先生の野村胡堂文学賞の受賞祝賀パーティに出席

午後、少し時間が空いたので日暮里のいくつかの記念館を訪問。
寺町美術館は模様替えのため休館。ファーブル昆虫館も休館。
挿絵作家として有名な岩田専太郎コレクションを訪問。

江東区には興味深い記念館などがまだまだあることを発見。
東洋大学井上円了記念博物館」「日本女子大成瀬記念館」「東洋文庫」「わだつみのこえ記念館」「礫川浮世絵美術館」「三菱史料館」「東大・健康と医学の博物館」「東大総合研究博物館」「講道館柔道資料館・図書館」「東洋学園大・東洋学園史料室」「東京都水道歴史館」「お茶の水おりがみ会館」「日中友好会館美術館」「旧安田楠雄邸庭園」「2002年FIFAワールドカップ記念日本サッカーミュージアム」「夏目漱石九旧居跡」「八百屋お七墓所」「樋口一葉終焉の地」、、、、。

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16時半:知研の八木哲郎会長と懇談

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17時半:日本作家クラブ主催の小中陽太郎先生の第一回野村胡堂文学賞の受賞祝賀パーティの参加。

日本作家クラブは、野村胡堂(1882−1963年)が初代会長の捕物作家クラブが前身。小説家・挿絵作家・評論家など200数十名が参加している一般社団法人野村胡堂は「銭形平次」を書いた人気作家。「あらえびす」の名での音楽評論でも名高い。東大中退。報知新聞に入社し調査部長・学芸部長。銭形平次水戸黄門と並ぶ人気。

小中陽太郎先生の「翔べよ!源内」(平原社)が受賞作。以下、私の読後文からピックアップ。

翔べよ源内

翔べよ源内

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小中陽太郎「翔べよ源内」(平原社)を毎日少しづつ時間をかけて読んだ。
平賀源内(1728年生れ)という異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気がよくわかる傑作だ。
讃州高松藩の最下級の武士の家に生まれた源内は、本草学・薬草に深い関心を持つ藩主と親しくなるが、広い世界を見たいと暇をもらおうとする。藩主の答えは自由は与えるが、他に就職してはならないという「仕官御構い」の宣告を受ける。
著者の小中陽太郎は若い頃にNHKから脱藩した経歴を持っており、市民運動、執筆、などの仕事で世の中を渡る人物だが、この源内の人生に関心を寄せている。歴史の中に自らのモデルを求めるといういことだろう。
この本を読みながら、小中は源内そのものだと何度も思った。
源内という人物を表す言葉。才気の人。諧謔の人。。千里の駒。戯作者。須原市兵衛。夢見人。起業家。天才。奇才。、、。
ネットワーカー源内を取り巻く同時代の人々。
杉田玄白前野良沢田沼意次青木昆陽。小野田直武。司馬江漢。塙保己一酒井抱一。太田蜀山人。工藤平助。滝沢馬琴田沼意次。、、、
この源内にして、最晩年の鬱屈があった。翔べなかった己を愧じた言葉である。
「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」

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審査委員長の奥本大三郎挨拶。
吉田茂首相の愛読書が銭形平次。胡堂は仏文のインテリ。同じ大仏次郎鞍馬天狗を書いている。小中さんも仏文の教養人。源内は理系と文系の両道の人。源内の無念がよく出ている作品」

小中陽太郎先生の挨拶。
「子供の頃は、鞍馬天狗銭形平次ロビンソン・クルーソーが愛読書。源内は戯作に憂さ晴らした。神田明神銭形平次の碑がある。胡堂は19歳で新渡戸稲造から受洗したクリスチャン」

胡堂の孫の挨拶。
「愛妻家。小心者。社会へ還元する人。野村学芸財団の基金2.4億円は1200人の奨学生を生んだが、運用が上手で減らない。」
井出孫六

「55年前に編集者として胡堂に会ったことがある。「翔べよ!源内」は題材が小中さんにふさわしい。源内のことをシで歩いてよく取材している。

交流会は、世志凡太が司会。ベ平連など市民運動のよしみで菅直人元首相も挨拶。
懐かしい読書新聞の植田康夫先生(社長)などにもご挨拶。多摩大同僚の樋口先生、八木さん、秋田さん、、。