独学の人・「昆虫記」を書いたファーブルの91年の生涯

ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(1823年12月21日 - 1915年10月11日)はフランスの生物学者。昆虫の行動研究の先駆者であり、研究成果をまとめた「昆虫記」で有名である。その偉大な人生は91年に及んだ。

ファーブルは、昆虫のみならず、貝類、植物、菌類など、手に入る限りの生物を研究した。
昆虫でもありとあらゆるものをテーマにした。
そして生物以外に、考古学、民俗学天文学、物理学、化学、数学にも手を出した。そして南仏文芸復興運動のメンバーであり、詩を書き作曲もした。
生きた百科全書のような人だった。日本の南熊楠に似ているという評価もある。

世界中で日本ほどファーブルの本が人気な国はないようだ。児童版「昆虫記」は多く読まれている。
ファーブルの祖国フランスが虫オンチであるのに対し、日本は植物相が豊かで虫が多く、そのためもあり虫めずる国であるからでもある。ファーブルが生涯貧しかったのは、フランスに生まれた不幸でもあったかもしれない。

ファーブルの言葉。

  • 幸運は、貧乏負けしな者を決して見捨てない。
  • 独学には独学の値打ちがある。それは、官学の定まった型に人をはめ込まない利点と特徴があるのだ。
  • 私の心の中に、すでに薪が積まれてあった。私の読んだ論文は、その薪に火をつける役目をしたのだ。
  • あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っています。
  • 私の本には内容空疎な公式や、えせ学者の愚劣な論議が詰まっていない。観察したことの正確な叙述なのであって、それ以上でも。それ以下でもないのだ。そうして虫たちに自分で質問しようとおもう人たちは、ここに書いてあることと同じ答えを受け取ることになるだろう。

「昆虫記」の第1巻の発刊は、1789年4月でファーブル56歳の時だった。売れ行きはよくなかった。
自然の中で生きて活動している昆虫の姿を記録し、その謎を説明しようとした。科学と文学を調和した文体を意識した。
62歳で妻を失い、2年後64歳で23歳の家政婦ジョジェフィーヌと再婚する。40歳の年の差があったが、3人の子供が生まれた。
それ以来、規則正しく勤勉な、そして平穏な生活を送ることができ、平均して3年に一度の割合で「昆虫記」を出版し、1907年、84歳の時に最後の第10巻を完成する。この世紀の大著作の総題は、「昆虫学的回想録」という意味の言葉だった。

日本最初の訳者といわれる大杉栄は、賀川豊彦からファーブルのことを聞いて興味を持った。賀川は弱肉強食の理論書のように悪用されたダーウニズズムに対抗するためにファーブルを持ち出したのである。
大杉は簡潔に「昆虫記」とした。大杉は関東大震災のどさくさに、憲兵隊に殺されてしまったため、第1巻しか訳すことはできなかった。

84歳で「昆虫記」10巻は完成したがさっぱり売れない。
87歳、賞や勲章をもらい、祝賀の宴のあとで名前が知られるようになり、売れ行きがよくなる。過去30年間に合計よりも多くなる。
89歳の時にジョゼフィーヌが48歳で亡くなる。

1巻56歳。2巻59歳。3巻63歳。4巻68歳。5巻74歳。6巻77歳。7巻78歳。8巻80歳。9巻82歳。10巻84歳。
ファーブルのライフワーク「昆虫記」は、56歳から84歳までの28年間でようやく完成するのである。

博物学の巨人 アンリ・ファーブル (集英社新書)

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ファーブル巡礼 (新潮選書)

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