140410

プレゼミ。Kグループはバートル先生、椎木先生、私が担当教員。
簡単なオリエンテーションの後、徒歩15−20分の旧聖蹟記念館を訪問。
多摩大の近隣を知るという目的。
学芸員の高橋さんから30分ほどの詳しい説明を受ける。
全員で写真撮影。

明治天皇1881年以降、連光寺村で鮎漁を楽しまれ、この地は皇室の御猟場に指定された。
名前を変えた多摩村は大正時代まで続き、皇室はゆかりの深い土地となった。
昭和3年(1929年)、宮内大臣として長く明治天皇に仕えた田中光顕(1843年生まれ)という人がこの地に着目。
田中は70歳で引退した後、明治天皇の偉大さを伝えること、明治の志士たちを顕彰することを志した。
田中は97歳までの長寿を全うしたから、余生は四半世紀に及ぶ。これは余生というべき長さではない。
95歳の時の等身大の写真があった。九七叟。かくしゃくとしている。最後の志士であった。
郷里高知に青山文庫、千葉県大洗に常陽明治記念館、そして多摩に旧聖蹟記念館を建てた。
田中光顕は、1843年土佐に生まれた。坂本龍馬(1835年生まれ)より8歳年下。武市半平太・瑞山の土佐勤王党に参加、陸援隊の一員となった。
警視総監、学習院院長、などを歴任した後、宮内大臣を11年努めている。1939年没だから日中戦争を経て、大東亜戦争のさなかまで生きていたということになる。
「長生きの術はいかにと人問わば 殺さざれし故と答えたり」という田中の歌があった。
館内には、明治天皇騎馬像の彫刻がある。また坂本龍馬を描いた絵、勝海舟の書なども。
勝海舟「得失は一時にして、栄辱は千歳なり」。
ウィキペディア田中光顕を引いてみたが、まさに明治維新から二・二六事件までの生き証人だった。
この人の一生を追うと江戸、明治、大正、昭和が一つの物語としてみえてくるかもしれない。

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来日中の吉林大学沈教授とラウンジで歓談。
金先生、中村その子先生も加わる。
大学同士の交流協定の締結を進めようということになる。
10年ほど前に宮城大時代に私は吉林大の客員教授となった。その時、旧満州長春残留孤児を育ててくれた土地であることから、私の名前をつけた孤児を対象とした奨学金を出していた。沈教授には長春でお世話になった。
多摩大では、金教授、バートル準准教授という北東アジア研究者と吉林大の沈教授が共同研究をしており、来日時には必ず食事の機会を持っている。
そういう経緯があり、今回の協定締結の話になっている。国際交流とは本来はこういう積み上げの上ででてくるものだろう。10年ほどかけて実りの最初の段階が見えてきたきたところだろう。

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昼休みは非常勤の先生たちへの辞令交付。多摩大との関わりの多様さと大学の歴史もわかる。

  • 安田峰俊先生:中国語、現代中国入門を担当していただいている。
  • 山本博聖先生:自然科学概論担当。
  • 柏原伸也先生:プロジェクトゼミ担当。
  • 十市勉先生とは挨拶。
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高野課長:3つの系の人材像と具体的人物の表現の仕方について。多摩大型問題解決学について。

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ホームゼミ
2−3年生合同のオリエンテーション

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ラウンジにて。
森学生委員長:新入生の様子を聞く。いくつか問題もでているようだ。
金教務委員長:自己点検関係。
川手教務課長:卒業の集いの日程調整