リチャード・ニクソン「指導者とは」(徳岡孝夫訳)を30年ぶりに再読

リチャード・ニクソン「指導者とは」(徳岡孝夫訳)を再読。

指導者とは (文春学藝ライブラリー)

指導者とは (文春学藝ライブラリー)

アメリカのリチャード・ニクソン第37代大統領(1913-1994年)は、ウォーターゲート事件というスキャンダルで1974年に任期半ばで辞職したこともあり、高い評価はしていなかった。この本が書かれた1982年直後に読んで、優れた人物であると再認識したことがある。

30年ぶりに読んで改めて世界のトップであるアメリカ大統領の視界の広さと仕事の重要さ、その中でライバルと接触しながら自国と世界の利益を追求する姿を垣間見ることができた。
ニクソン大統領は、ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント(緊張緩和)、中国との国交樹立などに尽力した。

イギリスのチャーチル首相、フランスのド・ゴール大統領、マッカーサー元帥と日本の吉田首相、西ドイツのアデナウアー首相、ソ連のフルシチョフ首相、中国の周恩来首相が
、遡上にあがっている。ニクソン大統領のリーダー論は出色である。20世紀リーダー論の最高峰だ。

政治家になって35年間でニクソンは世界80カ国を旅し、指導者たちと会っている。戦後の大指導者たちの中で会っていないのはスターリンくらいだった。
多くの指導者を観察したニクソンは「人間が老けるのは、みずからが老けるのを許容する場合が多い」という。
戦う英国を率いたチャーチルは66歳だった。ドゴールは67歳で第五共和制をつくった。アデナウアーは73歳で首相になった。
そしてドゴールは78歳でも大統領であり、チャーチルは80歳でも首相、アデナウアーは87歳でも首相だった。

最終の章「指導者の資格について」は、ドゴールの言葉で始まる。
「偉業は、偉人を得ずして成ることがない。そして、偉人たちは偉大たらんと決意する意志力により偉大になる」。
願望ではなく決意、追随ではなく指導が、偉大さの出発点である。

ポリティシャンが多く、ステイツマンがいない。これがよく聞く慨嘆であるが、ニクソンは「ステイツマンになろうと志す者は、まずポリティシャンでなければならない」と言っている。

指導者にとって、もっとも大切なのは時間である。つまらぬことに時間を割くことはできない。自分でやることを決めることと部下を選ぶことが大切な仕事になる。また私情を殺し公益を優先しなければ成果はでない。超重要事項は自分でやり、重要事項は部下にやらせる我慢が必要になる。
ニクソンの観察によれば、偉大な指導者は偉大な読書家であった。また全員が猛烈な働き手であった。

特に、チャーチルマッカーサー吉田茂の章に特に感銘を受けた。
チャーチル
「歴史を作る最良の方法は、それを書くことだ」
「偉大な国家は、生存にかかわる重大事を他の国々に決めてもらおうとは思わない」
ドゴール
 自分を指すのに三人称を用いた。シーザーやマッカーサーも同じだった。
マッカーサー
 「司令官にとって最も大切なことは、5%の需要な情報を、95%のどうでもいい情報から見分けることだ」
吉田茂
 ニクソン「指導者にとって満足の最たるものは、自己が舞台を去ってからもなお、わが政策の継承されるのを見ることだろう」
 ニクソン「自分が大統領を狙わず、大統領職に自分を狙わせる。これこそ大統領になる最大のコツではないだろうか」
アデナウアー
 正道と穏健を守り、準備に心がけた。不意を衝かれることはなかった。
周恩来
 ニクソン「中国革命が実を結ぶかどうかは、現在の中国の指導者が周恩来のように「共産主義者であるより先に中国人」であり続けられるかどうかにかかっている」。

知的生産のヒント。

  • チャーチル。戦争中も昼寝を欠かさなかった。必ず演説の草稿を書き、暗誦し、鏡の前でゼスチャーを研究し、あれこれ研究した。
  • ニクソン。文章を書くのにテープに口述筆記をするのが一番だ。重要な演説の原稿をまとめるのが自己を鍛える。決断の検証と思考を磨くことになるからだ。政治指導者は伝記類の熱心な読者だ。
  • ドゴール。まず原稿を書き、暗記してから原稿を捨てた。
  • マッカーサー。健康の秘訣は、仮眠とあまり酒を飲まないこと、腹八分の食事。どこでも欲する時に眠れることを挙げている。
  • アデナウアー。ひげをそっている間にアイデアがひらめくので、バスルームには紙と鉛筆を以って入った。
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本日の水泳:300m。