「知の巨人」--荻生徂徠伝」--吉宗と儒教

「知の巨人」--荻生徂徠伝」(佐藤雅美角川書店)を読了。

柳沢吉保に31歳から仕え、8代将軍徳川吉宗の知恵袋として活躍した儒学の大家・荻生徂徠の伝記。

荻生徂徠は、朱子学を乗り越えようと奮戦した。朱子学を奉じた江戸の新井白石、室鳩巣など木下順庵の木門、朱子を批判した京の伊藤仁斎、東涯の古義堂などを敵として、自らの壮大な学問を構築していった。
この人も遅咲だった。「50までに名を挙げよ」と吉保から激励を受けている。
世の俊秀が集まってきたのが、46歳の頃。その後、著述を通じて大家になっていく。不帰の客となったのは63歳。

朱子学

  • 世界は理(真理)と気(実体)でできている。万物はこの混合体である。理が強い人が聖人、気が強い人が小人。

徂徠の学。

  • 方法:どのような場面でどう使うかを考えながら読んでいく。華と和を合すのが吾が譯学、古今を合すのが吾が古文辞の学。学問はみずから学ぶものであって教わるものではない。
  • 格物致知:「物」は聖人の教えの具体的な内容、それを習って「格」(まね)き寄せること、つまりわがものにすることが「格物」。そうなれば「知」が自然に明らかになって「知」が至る。それが「致知」である。「人みな聖人たるべし」という者(朱子)は非。
  • 道:先王の道は天下を安んずるの道なり。礼楽刑政を離れて道はない。礼とは、儀式、儀礼、宴会などをそれぞれの階級に応じ、それぞれの形式で実演すること。道は天下国家を平定するために聖人が制作したものである。政治を道徳や仁義から切り離したことで儒学の世界を根底から覆した。身を修めれば天下はおさまるというのは仏教道教の悪影響を受けているのだ。吾国の神を敬うことが聖人の道である。
  • 業績:足高の制、上げ米の献策によって、幕府の財政を建て直した。

今後の課題。

  • 徳川吉宗は江戸期を通じて抜群の政治家だったようだ。吉宗という人物と政治の研究が必要である。
  • 江戸時代は儒教が盛んであったが、明治になってあっという間に消えてしまった。この本では知と知を競い合ったことが明治維新を準備したとある。つまり脳力を磨いたのが儒教という学問であったという結論である。それでは同じく儒教を奉じた清や朝鮮はなぜ近代化遅れたのかが説明できない。