朝鮮通信使の足跡を鞆の浦に訪ねる

福山から岡山。
バスで鞆の浦

朝鮮通信使が「日東第一形勝」、つまり日本で一番の景色と絶賛した土地である。

須佐男命以来、2千年の歴史を持つ港。
豊後水道紀伊水道が交わる瀬戸内海の中心で、蒸気船の登場前には潮待ちで大いに栄えた。そういう土地柄だけに、ここに滞在した著名人は驚くべき多さに達する。歴史が染みついた町である。火打灘という命名も面白い。

瀬戸内海航路の中心だったこともあり、盛時には友情60人を抱える遊郭が4軒もあり、江戸の吉原をしのぐ勢いだった。

龍馬の隠れ部屋があった坂本龍馬宿館跡の桝屋清右衛門宅。
いろは丸沈没事件で、龍馬が紀州藩と談判したときに滞在した。

「むろの木歌碑」。わぎもこがみえしとものうらのむろの木、、、」。
遣新羅使の歌も二首選んでいる大友旅人の歌。

十返舎一九梅原龍三郎。中村憲吉。井伏鱒二平山郁夫、小野竹喬さん平重盛、。


対潮楼・幅禅寺。
真言宗の寺。
1711年の通信使の従事官・李邦彦g「日東第一形勝」と絶賛した景色が見える。
正面に弁天島、右に皇后島、背後に仙酔島を浮かべた海があり、一幅の絵である。
この景色の中を通信使の船が通り、この景色堪能したことを偲んだ。

この寺には正使、副使、従事官が宿泊した。
その接待には福山藩から1000人の侍があたったという。
建立は950年。62代の村上天皇空也上人に命じて造らせた寺。
ペリー来航時の筆頭老中の阿部正弘は福山藩主。
坂本龍馬はこの部屋で紀州藩と会談している。

走島、野島。村上水軍の居城。2600人の軍団。
信長の石山本願寺兵糧攻めには毛利が800隻の船で食糧を送ったが、それはこの村上水軍の力だった。

鞆の浦歴史民俗資料館を見学。
鞆城の跡に立つ。
庭にはこの地と縁の深い宮城道雄(1894ー1956年)の銅像が立っている。名曲「春の海」はこの地のイメージだった。2階は宮城道雄の記念室。350曲を作曲。10冊の随筆集。
朝鮮通信使行列の再現のビデオでは、沿道の人々の様子もみえ、往時を偲ぶことができた。

ここからは、森下仁丹を創業した森下博円福寺がみえる。ここは紀州藩の宿舎でもあった。
吉本晴彦。小林一三森下博。この3人は金の使い方がうまく、大阪の三大どケチとも呼ばれていた。
もち米と焼酎をベースに16種類の薬草を入れた方保命酒。養命酒の元になった。

鞆の浦 の沖ゆく帆船あり水原秋桜子

宮崎駿が2ヶ月滞在して取材し、その結果できあがったのが「崖の上のポニョ」。
台湾や韓国からの若い人が訪れるのは、このアニメの影響だ。

安国寺恵瓊のでた安国寺。
山中鹿之助首塚。1748年の死にあたって毛利輝元足利義昭が首実検。

福山から岡山。
岡山からマリンライナーで瀬戸内海を越えて高松。
高松港から途中で合流した奥山先生と一緒に高速艇で30分で小豆島。

小豆島ヘルシーランドの柳生さんとその一族郎党のみなさんとのバーベキューパーティ。

素晴らしい迎賓館で、話がもりあがって遅くまで。