「19世紀の聖人・ハドソン・テーラーとその時代」


赤坂の野田一夫事務所を八木哲郎(知研会長)さんと訪問。
八木さんの上梓した「19世紀の聖人・ハドソン・テーラーとその時代」(キリスト教新聞社)のお祝いに野田先生が企画してくださった会食。

「こういう風格のある書物は最近は見ない」と野田先生。
事務所で昼食をご馳走になりながらキリスト教と中国に関するいくつかの質問があり、八木さんが回答する。
丸山真男梅棹忠夫、、、など野田先生との交流の話も興味深かった。長くトップランナーとして活躍するということは、歴史の証人になるということだ。

八木さんは、次作(義和団)をほぼ書き上げているし、その後の次次作(毛沢東)の構想も温めている。
野田先生の暖かい人柄に改めて感じ入った。

19世紀の聖人ハドソン・テーラーとその時代

19世紀の聖人ハドソン・テーラーとその時代

八木さんの労著を私も長い時間をかけて読み終わった。
主人公のハドソン・テーラー(1832-1905年)はイギリス人の宣教師。
1854年に23歳で上海に上陸して51年間に中国全省とチベット、モンゴルまでキリストの福音を届けた。ハドソンの指導した内地会の最盛期には、中国に建てた教会は1233カ所、祈祷所226カ所、信徒9万人、宣教師1326人、運営する小学校330校、中学校10校、医院16カ所、診療所17カ所に及んだ。太平天国の乱、アヘン戦争義和団の乱など激動期の中国に於ける最大の宣教会をつくりあげたのである。神を愛し、神に愛された男と言われた不撓不屈の人物である。

中国、台湾、香港、そして欧州では、このハドソンテーラーという人物は広く知られているが、日本では初の評伝である。構想から25年の歳月が経過している。
八木さんは、この本を書くことでキリスト教が理解できたと後書きで書いている。

ここではテーラーの苦労話は割愛して、キリスト教についての部分を拾ってみたい。

  • 祈祷は神とのコミュニケーションである。祈りは神に自分の意思を届ける手段である。
  • 相手の反応には関係なくキリストの言葉を伝える。それを受け止めるかどうかは相手の問題である。
  • 宣教師は医学の知識を身に着けている。それを武器として布教していく。
  • 神との契約で行動している。確信犯。
  • 神に命じられて福音を伝えることが使命であり、国家の保護は必要ない。
  • 安全圏でのみ布教するするのは偽者のクリスチャン。
  • ドナーが金を出すことは神の道にかなうことであり、宣教師がそれを受け取ることは神の恩寵を得ることだ。
  • もしわれわれがそこで餓死したとしても、それはわれわれの責任ではない、神の責任である。
  • 神がみずから行う事業である。だから絶対に成功する。
  • この国にキリストの教えを広めるためにまず中国人の牧師を数多く育てる。やがて彼らが彼ら自身の言葉で教会を運営する。われわれは忘れられても構わない。地の塩となって最初の手伝いをするだけだ。
  • 神が僕の中にいて僕は神の事業をしている。事業の過程でいろいろなことが起るだろうが、神はあらかじめ折り込みずみだ。気張らないでそれに従っておればいい。
  • 神の事業を行っているのだから、恐れることはない。神が守ってくださる。
  • 神は試練を与えてだめなものは去るようにしむけている。
  • 神が与える恩寵は常にまったくおもいがけないところから現れてくる。

ハドソン・テーラーの偉大な事績は、神の存在に対する確信、神の事業を行っているという使命感があれば、想像を絶する困難にも打ち勝つことができるかもしれないということを教えてくれる。

八木さんとは35年間にわたってのお付き合いだが、さまざまの恩恵を受けてきた。
ハドソン・テーラーが19世紀の聖人なら、八木哲郎さんは現代の聖人である。

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名言の暦 5月14日

命日

  • 大久保利通1878
    • 為政清明(政治を行うものは清らかでなければならない)
    • 西郷が辞めれば政府が潰れる。しかし西郷の意見を容れれば国が潰れる。

誕生日

  • 村山龍平1850:
  • 前川国男1905:建築の理論を最後の一歩まで推し進める力は、口でもない手でもない、やはり建築家それ自身の生活力、または生活意識そのものであります。