金子兜太「語る兜太----わが俳句人生」--反骨の俳人

金子兜太「語る兜太----わが俳句人生」(聞き手・黒田杏。岩波書店)を読了。

この本の中に、日航財団「地球歳時記」という項がでてくる。
日航がネットワークを生かして世界中の子どものHAIKU(絵がついている)を2年毎の万博で披露する活動である。
この中に、「アララギ」の歌人の柴生田稔の長子、柴生田俊一という「異才、異能」の人が地球歳時記というコンセプトをまとめたと紹介されている。このプロジェクトに貢献した詩人のジャック・スタム、作家の江国滋、早稲田大の佐藤和夫さんらが紹介されている。彼らには私も接触していたから、金子兜太にも夜の俳人たちの会合で会っている気もする。今95歳であるから、その25年前のその時の兜太は、70歳ということになる。

この柴生田さんは広報課長で私は部下として仕えていた時以来の大型プロジェクトである。「日航一の文化人」であった柴生田さんと私は気が合って実に楽しく仕事をした。私が後任となった後も、日航財団の主要プロジェクトとして続け成功した。一企業が日本文化をテーマとした活動を成功させたとして当時から評価が高かった。
柴生田さんと久しぶりに会おうか。

語る 兜太――わが俳句人生

語る 兜太――わが俳句人生

1919年(大正8年)生まれの金子兜太は東京帝大を半年繰り上げ卒業し日本銀行に入社するが3日で退職。海軍主計官としてトラック島で戦い捕虜となる。この間、「戦争は絶対にいかん」という信念を持つようになる。復員後、28歳で日本銀行に復職するが、反戦・平和という生き方から、日銀の古い体質の近代化をめざし労働組合活動を行う。

青年時代から俳句の活動に励み、1956年に現代俳句協会賞をもらい、翌年38歳では朝日新聞阪神版で選者になる。このあたりからは、日銀での昇進を捨てる。このため、福島(ヒラ)、神戸(係長)、長崎(課長)など地方支店を転々とさせられるが、この10年が俳句修行にはよかった。昼休みと夜を個人の仕事に当てた。日銀では最後は、窓際族などという甘いものではなく、「窓奥族」になる。金庫番である。日本一巨大な金庫の鍵を預かる仕事だ。

1974年、55歳で日銀を定年退職。その後は、俳句活動に専念する。それから40年、今や俳句界の大御所として日本の俳句史の中に存在している。
日銀30年弱、そして退職後40年だから、勤め人の時代より、退職後のライフワークに打ち込む時間の方がはるかに長いということになる。「毎日が日曜日」であるとか、余生であるとか言っている場合ではないということがわかる。

1950年(31歳か)からずっと日記をつけている。この本もこの膨大な日記を繰りながらインタビューを受けている。
1960年からは3年連用日記に毎日つけているから、この日記は実に65年に及んでいることになる。その日記が「今のオレの支えかな」。
「長生きをすると過去の時間の集積がすさまじい」という兜太は自他ともに認める記録魔である。
朝日俳壇もほぼ30年担当している。

長い俳句人生が続いているが、原体験は、戦争、冷や飯、金子抹殺の風潮の3つである。戦争で失った友人たちの死と戦争の悲惨さ体験による反戦、毎日過ごす職場での過酷な冷遇の日々、そして自分を抹殺しようとする俳壇への反発。こうやってみると兜太は反骨の人だと思えてくる。

  • 「俳句を作り、さまざまな人の俳句を選ぶという人生はその一日一日、いや一瞬一瞬に発見があります。好奇心が刺激され、一一刻一刻、毎日が新鮮なのです。」
  • 「よく眠って、すこやかに五感が動いて、ごく自然に浮かんでくる言葉や考えをありがたく、嬉しく享受する日々、それを重ねる。その日々をいきるってことです。」
  • 「無理しちゃいかん、絶対いかん。人間として自然に永らえる。これが大切なんです。」

「立禅」も参考になった。

  • 長年の間に亡くなった人で、自分のとって印象に残っている人たち、お世話になった人とかいろいろいろ、つまり私にとって大切な、特別な人たちですが、その名前をずうっと言っていくのです。今、二百人くらいになっているかな。
  • 自分の記憶、自分の人生そのもんと重なっているから、個人的な立禅のほうが読経よりすっとインパクトが強い。

以下、目に留まった兜太の俳句から。

 銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく
 二階に漱石一階に子規秋の蜂
 痛風は青梅雨に棲む悪党なり
 燕帰るわたしも帰る並みの家
 芭蕉親し一茶は嬉し夜は長し
 大根おろし御飯にかけて山暮し
 酒止めようかどの本能と遊ぼうか

兜太の俳論は別途改めて読むとして、以下はすぐに読むことにしたい。

名言の暦 5月18日

命日

  • マルティン・ルター1546:もし明日、世界が砕け散ってしまうとしても、私はりんごの木を植え続けることでしょう
  • ミケランジェロ1564:最大の危険は、目標が高すぎて、達成出来ないことではない。目標が低すぎて、その低い目標を、達成してしまうことだ。
  • 早矢仕有的1901:勉強は人のため幸福を生む母のごとし天は万物を人ならずして働きに与うるものなり
  • 岡本かの子1939:人生は悟るのが目的ではないです。生きるのです。
  • マーラー1911:交響曲を書くことは、私にとって、世界を組み立てるということなのだ。

誕生日

  • 南方熊楠1867:むちゃくちゃに衣食を薄くして、病気を生ずるもかまわず、多くの書を買うて、神学もかじれば生物学も覗い、希・拉もやりかくれば梵文にも志し
  • バートランド・ラッセル1872:不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
  • ヨハネパウロ2世1920:自由とは、ただ好きなことをするのではなく、我々が当然すべきことをなす権利を持つことである。
  • レジャー・ジャクソン1946:ファンはとるに足らない人間にはブーイングをしない。