野田一夫先生の米寿のお祝いの会--仕事と人間関係

野田一夫先生の米寿のお祝いの会。

親しい人のみということで人数を絞ったというが、それでも優に100人を超える盛況の会となった。
1927年(昭和2年)生まれ、今年で88歳。参加者の内で最高齢であるが、年寄りの感じの人も多かった。
野田先生の言うこと、スタイルは、まだ若々しい青年の風情であった。

立教大時代のゼミ生ももう70を超えてきており、先生と並ぶと「誰が生徒か先生か」状態。
多摩大、事業構想大学院、そして秘書軍団など、個別の撮影会も行われた。まことに用意周到である。


ジュディ・オング、、溝畑元環境庁長官、三男の豊加さん、、、などの挨拶。



奥様との結婚生活は56年。奥様「好きなことをやってきた夫は幸せ、横ににいた私も幸せでございました」との名挨拶。

東大名誉教授の渥美先生の挨拶では、100歳越えは間違いなく、120歳も可能性があるとのことだった。

帰りにいただいた挨拶状から。
「満88歳の現在も依然として心身とも極めて元気に、かつ、やり甲斐のある仕事に追われる日々を過ごしておりますが、しかし同時に、歳を重ねるにつれ、人間の本当の幸せは、親しい人々の存在無くしてはありえないことをも、ますます痛感いたしております。
「この人生で自分の能力を思いっきり多面的に発揮できた上に、身に余るほどに恵まれた”素晴らしい人間関係”をつくり上げられたことに、今、心から満足いたしております。」

7月は仙台での米寿の会。2年後は「卒寿」の会と続くだろう。

参加者全員が、最高齢の野田先生に、元気をもらった会となった。

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名言の暦 6月13日

命日

  • 宮本武蔵1645:先日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす。
  • 北里柴三郎1931:終始一貫。
  • 太宰治1948:きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。
  • マルチン・ブーバー1965:人間というのは、新しいことを始めることさえ忘れなければ、老いるもんではない。


誕生日

  • 梅棹忠夫1920
    • それ(都落ち)はちがう。上洛や。
    • 私は知のプレイボーイです。
    • なんにもしらないことはよいことだ。自分の足で歩き、自分の目でみて、その経験から、自由に考えを発展させることができるからだ。知識は、歩きながらえられる。あるきながら本をよみ、あるきながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。
  • 潘基文 〈パン=ギムン〉:日本はこれまで、最も寛容かつ強力な支援国の一つとして全世界で困窮する人々に援助の手を差し伸べてきました。国連は同じ気持ちから、この極めて困難な時期に日本の人々の力となり、可能な限りあらゆる支援を提供する所存です。