「沖縄戦新聞」

10年前の戦後60年を期して琉球新報が取り組んだ大型企画「沖縄戦新聞」は日本新聞協会賞を受賞している。
沖縄のホテルで売っていたので買ってきた。

「戦時下の新聞は、戦争の正当性を流布し戦意高揚に加担、国民を戦争へと駆り立てた負の歴史を背負っています、琉球新報も例外ではありません。」と比嘉社長が述べている。新聞の負の歴史を直視し、新たな手法で沖縄戦を多角的に報道した作品だ。
1年2ヶ月に渡り14号を発刊した

一面は主要記事を掲載。2ー3面は見開きで住民の証言、解説記事、戦況などで構成。
4面は平和教育への活用を意識しNIEとしての性格を持たせた。
私が入手した8号から14号を読んだ。当時の状況を様々の資料から立体的に再構成して描いている。

伊江島占領」「第32軍、総攻撃失敗」「第32軍、首里放棄」「沖縄戦、事実上終結」「宮古八重山の戦争」「日本が無条件降伏」「南西諸島の日本軍が降伏調印」。
言論統制で当時は伝えられなかった沖縄戦の全体像が現代の視点で描かれている。

沖縄戦が始まる直前の昭和20年2月16日には「戦争は、軍も官も民もない。全て

が戦闘員だ。一丸となって戦うのだ。竹槍であろうが、それが武器となるものであれば、てんでに提げ、一人十殺の必殺訓をなして戦う、これこそが県民の絶対的使命となったのだ」と書いている。戦果、美談、知事の県民激励で紙面を埋めている
言論統制と言うよりむしろ新聞は政府や軍部と一体化し県民に死を強要する号令者となってて、紙爆弾を投下し続けたのである。

ありったけの地獄、戦史上最も熾烈な血みどろの戦闘と言われた沖縄戦実相がわかる。

取材班の後書きでは、新聞人として「戦争のために二度とペンをとらない」ことを深く胸に刻み、日々取材活動を続けていこうと言う決意が述べられている。

新聞の犯した罪を背負いながら、過去の歴史を二度と繰り返さないという決意が伝わってくるすばらしい企画である。
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夜は同級生たちと飲み会。鮨屋、カラオケ、スナック、とハシゴし、帰宅は午前様。

名言の暦。

命日。

生誕。

  • 川上貞奴1871:
  • 安重根1879:
  • 柳田誠二郎1893:結局、思想です。思想が人間を支配するんだ。