300年前の本日(11・23)、富士山の宝永大噴火。

1707年の本日(11・23)、富士山の大噴火があった。300年前のこと。
宝永大噴火である。噴火は2週間続いた。直前に記録的な宝永大地震マグニチュード8.6−9クラス)があった。
平安時代延暦の大噴火(800-802年)、「貞観の大噴火(864−866年)とあわせて富士山三大噴火と呼ぶ。

火山灰は関東一円に降り、農作物に多大な影響があった。堆積した火山灰で酒匂川の水位が上がり堤防が決壊。自力復興をあきらめた小田原藩は幕府に救済を頼み、全国から支援を受けたが20年経っても復興はならなかった。田中休愚が徳川吉宗の命を受けて1723年から復興にあたった。
江戸にいた新井白石は「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」と記している。
大量の降灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならなかった。火山灰は当時の文書によれば2寸 - 4寸 (5 - 10cm) 。この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされた。当時の狂歌でも多くの人が咳き込んでいるさまが詠まれている。
「これやこの 行も帰るも 風ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳」。


今日の収穫。ノーベル賞受賞の言葉から。

  • 教師たる資格は、自分自身が進歩していることである。(大村智の母)
  • 高等教育を軽視した日本の考え方は、世界から取り残されています。((梶田隆章
  • 戸塚洋二「これ(スーパーカミオカンデ)ができたらノーベル賞なんて一つどころか、三つも四つも来ますよ」。戸塚氏は2000年にがんが発覚して以来、自身の治療経過を克明に分析するブログを綴っていた。その一部を掲載した「あと三ヵ月 死への準備日記」(文春08年9月号)は文芸春秋読者賞を受賞。戸塚氏はノーベル賞に最も近い日本人と言われていたが、2008年に不帰の客となった。梶田の兄貴分。

「名言の暦」11月23日
命日

  • 渡辺崋山1841
    • 眼前の繰廻しに百年の計を忘るるなかれ。
    • 西洋が恐ろしいのは、雷をきいても耳をふさぐことを第一の悪と考えることです。
    • 大功は緩にあり 機会は急にあり
    • 一人にても餓死流房に及び候わば、人君の大罪にて候
  • 樋口一葉1896:あの源氏物語は立派な作品ですが、私と同じ女性です。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうとする人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代のことを後世に伝えるべきであるのに。
  • アンドレ・マルロー1976:

生誕

  • 久米正雄1891:自分の第一義と信ずる仕事を職業となし得ぬのは何たる苦痛であろう。
  • 田村魚菜1914:
  • 利光松男1923:
  • 横山修二1925: