「戦後70年史、そして沖縄」の講義の学生のアンケートから

先週のリレー講座の私の「戦後70年史、そして沖縄」の講義の学生のアンケートから。

  • 講義を聞いてもっと沖縄を知りたい。
  • 日本は政治的独立ができていない。
  • 沖縄戦新聞」に衝撃を受けた。
  • 日本は世界に認められる国になっていると思うし、アジアのリーダーです。
  • 沖縄の独立の話が出ていることも初めて知りました。
  • 歴史の勉強などろくにしてこなかったが、歴史を学ぶきっかけになった。
  • 読んだものは忘れるからブログに書くという習慣が勉強になった。
  • 沖縄戦新聞にとても興味
  • 本当の独立とは何か?
  • 近隣諸国との関係を良くしていかなくてはならない。
  • 知らないことばかりだった。
  • 好景気と言われているが本当だろうか。今は戦後ではなく戦前だという人がいた。
  • 沖縄にいる米軍のほとんどは海兵隊であることは知らなかった。
  • 集団自決は肉親の手による殺人だったと知り考えさせられた。
  • 戦争について深く考えさせられる講座だった。
  • 自分がどれだけ無知であり、向き合っていなかったかを痛感した。
  • 何が本当か、何が嘘かが分からない以上、自分の目で確かめよう。
  • 紹介されていた本を読みたい。
  • 沖縄に行くのにパスポートが必要であったことに驚いた。
  • 沖縄には爆弾という要素がたくさんある。
  • 現代日本と沖縄の関係は複雑怪奇
  • 専門知識がここまである先生だったのかと驚きました。
  • 日本は過去に残酷なことをしたと思うが、そのようなことも含めて「戦争」と呼ぶのだろう。
  • 自国を知るための歴史の授業が他の国より薄いと思うと悲しくなる。
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本日(11月26日)は、名外相・小村寿太郎の没した日。

日本の命運を賭けた日露戦争は、陸軍の旅順陥落と海軍の日本海海戦の大勝利となった。しかしその時点で日本は兵力と財力は力尽きてしまっていた。
政府は機会をとらえ、アメリカの斡旋を得て、ポーツマスで講和会議を開く。その全権を引き受けたのは外相・小村寿太郎である。条約締結は難題であった。
ロシアの全権は老練な政治家・ウイッテで、小村はこのウイッテと息詰まる交渉を展開する。日本政府の各国政府からの情報収集、ルーズベルト大統領との友人関係にあった金子の動き、ロシア側の革命前夜の国内情勢、などを総合しなら、小村は冷静沈着に相手と対峙し、最終的に交渉を妥結させる。
しかし日本の財政と兵力の実情を知らぬ日本国民は樺太北部と賠償金の放棄を知り憤激し大暴動に発展する。小村は帰国後暗殺の恐れの中で天皇陛下に奏上。

短躯(1m43c)、病弱、崩壊した家庭、父の負債からくる驚きべき貧乏、小藩の出身、などのあらゆるハンディを背負った小村は、47歳で大抜擢を受けて、桂内閣の外相として入閣し、日露交渉にあたる。
すぐれた頭脳、強靭な神経、大胆で周到な実行力を持った小村は世界各国に情報網、諜報網を張り巡らせる。決断力、忍耐力、周到な配慮と慎重さ、、、。

ウイッテの5つの方針は、アメリカを強く意識している。
講和を望んでいるという態度は決してみせない。僻地の戦争であるという態度で日本を威圧する。記者たちに愛想をよく接する。気さくな態度。ユダヤ人の反感を招かない。

小村は、歴史の浅い日本としては愚直な誠実さを基本方針として貫いている。
小村は常に議事進行の主導権を握るために、会議の冒頭に提案をしている。
協議が成立したとき、ウイッテは顔に喜びをあふれさせたが、日本側は泰然自若としていた。小村は「私は、自分の責任を果たしたことに満足している」と答えている。

「名言の暦」11月26日
命日

  • 小村寿太郎1911:うその外交は骨がおれるし、いつかはばれるが、つねに誠をもって押し通せば、たいした知恵もつかわずに済む。
  • 三宅雪嶺1945
    • 人は善くも言われ、悪くも言われるのがよい。
    • 出来ぬと思えば出来ず、出来ると思えば出来る事が随分ある。

生誕

  • 山本権兵衛1852
    • 東郷は、運の良い男でございますから、しかるに、必ずや勝利致しましょう。
    • 東京を復興するの努力如何は世界列強の環視する所、我が邦(くに)の実力如何を知るの試金石、またここに在り。
  • クネーベル1991:忠告を受け入れられる者は、忠告を与える者よりも優れていることがある。