仙台二日目。富田さんと、最近知り合った浅井さん(画家)と3人でゴルフ。
久しぶりに訪れたゴルフ場は老人クラブになってしまったようだ。
若い人はほとんどいない。やや元気な高齢者だらけとなった。
この10年で団塊世代が退場するだろうから、この業界も構造不況に陥ることは間違いない。
このゴルフ場は3つあったコースが2つになっていた。一つ分は太陽光発電のソーラーにして、数千万円の安定財源を確保している。
また、最近名義書換料を廃止した。そのため、少しだが会員権価格が上昇していると聞く。この名義書換料は虚構性の高い安易なやり方であり、本来あるべきビジネスモデルに戻りつつあるようだ。
仙台のこのゴルフクラブでプレーするのも年に数日であり、これを契機に売却することにした。私自身も来たるべき時代に合わせて、あるべき生活に変えていこう
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宇宙誕生:138億年前。
生命誕生:48億年前。
人類誕生:400万年前
原人、旧人、新人(ホモ・サピエンス)
グレートジャーニー開始:6万年前
日本列島到着:3.8万年前。
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「名言との対話」10月17日。前野良沢。
- 「国が異なり言葉が違っても同じ人間だから理解出来ないことはないだろう」
- 前野 良沢(享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者のち江戸幕府の幕臣。『解体新書』の主幹翻訳者。藩主奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。
- 中津藩中屋敷の良沢の住まいで行うターヘル・アナトミアの翻訳事業は難行だった。蘭語で書かれた文章には手も足も出ない。櫓も舵もない船で大海に乗り出したのだ。この突破口は、人体の図の中にある単語を本文の中に探して、そこから類推して意味を探るというやり方だった。そして2年の歳月を費やして翻訳は完成する。4年後の1774年に「解体新書」として刊行した。中国医学の五臓六腑説を粉砕する革命的な所業だった。腑分けに参加した彼らがこの書の翻訳に取りかかったのは良沢が49歳、玄白が39歳の時だった。
- 「解体新書」成立の過程を吉村昭らしい克明な調査で再現した労作「冬の鷹」。ターヘル・アナトミアという蘭書の翻訳という医学史上の偉業を、盟主として実現した前野良沢の名前は、「解体新書」の譯者にはない。その謎が解き明かされる伝記である。この本を読みながら思ったのは、それぞれの性格にふさわしい人生を送ったのだということだ。かたくなに主義にこだわる良沢、たくみにプロジェクトを実現させていく10歳下の玄白、そして華やかな才能を使いつぶす源内、政権の朝廷への返上を画策する行動力を示す彦九郎。性格タイプのエニアグラムでみると、良沢は観察者、玄白は成功を目指す人、源内は冒険者とみえる。背負った性格というOSにのっとって生きているのだ。
- 1743年(寛保2年)頃同じ藩の知人からオランダ書物の切れ端を見せられ、良沢は蘭学を志す。冒頭の言葉は、そのときのものだ。当時の外国語は宇宙人の言葉のようであったろうが、その翻訳に挑戦しようとした晩学の異才・良沢は、勇気の人であり、継続の人であった。