「ドクター・コッペリウス」--富田勲サウンド

先日味わった「ドクター・コッペリウス」の解説本から、富田先生(富田勲)の人間像を選び出してみた。

  • 手塚治虫富田勲氏の音楽をひと言でたとえるなら、脱日本的な第一級の調理師とでもいうべきだろう。、、、グローバルなスケールで第一級の仕事をしてもらいたい。」(1971年)
  • 富田勝(長男)「思った道を躊躇なく選択する父の姿」「幼少時に感動したものを、ホントに死ぬまで追い続けていたのが富田勲なのだと思います。倒れる1時間前まで創作意欲に満ち溢れ、最後まで前のめりで亡くなっていった父の人生は、本当に幸せだったと思います。」
  • 吉松隆「最後の最後まで新作を書いてて、元気にちゃんと話せて、お昼ごはんにうなぎを食べてから亡くなったなんて、うらやましくてしょうがないですよ。」「富田さんの偉業は、テレビを見てる子どもたちにオーケストラとシンセサイザーをダイレクトに届けたことですね。」
  • 松武秀樹「日本人のDNAの中にある日本人らしさのようなものを呼び覚ます不思議な力があるような気がします。」
  • 宇川直宏富田勲は神か仏か?絶対的に仏だと思います。」「先生は、むしろこれからさらに生きてくると思っています。」

 

富田勲

「これからは宇宙時代。何億年前には海にしかいなかった生き物が生存不可能と思われる陸を目指したように、人類は今や宇宙を目指そうとしています。大変な困難を克服しなければなりません。しかしこれは、生き物にとって受け継がれてきた悠久のロマンではないでしょうか。それは地球全体の国々の心は一つにならなくてはならないでしょう。」(2015年9月。国際交流基金賞受賞スピーチ)

 

ドクター・コッペリウス。以下、作品解説(前島秀国)から。

糸川英夫博士は「いつかホログラフィーと踊ってみたい」と富田に夢を打ち明けた。

ホログラフィーとは平面に物体の立体像を映し出す光学技術。

その夢の実現が、この作品だった。

「重力の柵」を乗り越え続けてきた富田は、その柵から人間を解放してさらなる自由へと導いていく初音ミクとの競演を生み出した。

生命のないコッペリアという自動人形に魂を吹き込むというストーリー。考えてみれば日本人は浄瑠璃文楽、カラクリ人形など、人形に魂を吹き込む文化を大切にしていた。鉄腕アトム初音ミクも、日本の伝統文化の継承であった。

音の演出の面白さを特色とするワーグナーにヒントを得て、富田はエレクトロニクス技術を使って大きく広げていった。富田勲はひととの音楽宇宙であり、果てしなき広大な銀河である。

 

この広大な音楽宇宙、音楽銀河を、富田先生を偲んで、今から旅をしよう。

新日本紀行」「イーハトーブ交響曲」、、、、。

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「名言との対話」。11月14日。ジャン・パウル

「人生は一冊の書物に似ている。ばか者たちはそれをいそいでぺらぺらとめくっていくが、かしこい人間は、念入りにそれをよむ。なぜならば、彼らはただ一度しかそれをよむことができないことを知っているから。」

ジャン・パウル(Jean Paul, 1763年3月21日 - 1825年11月14日)はドイツ小説家。該博な知識に基づく機知とユーモアに富んだ中長編を発表。主要作品に『ヘスペルス』『陽気なヴッツ先生』『ジーベンケース』『巨人』『生意気ざかり』『彗星』など。

  • 富、眠り、健康はそれを取り戻した時になって、はじめてその味わいを満喫できる。
  • つねに謙虚であるならば、ほめられたときも、けなされたときも、間違いをしない。
  • 友人を信用しないのは、友人に欺かれるよりもはるかに恥ずべきことである。

人生は旅である、これが大方の人の理解だろう。このアナロジーで出会う人々や自分を巡る事件、そして現在の自分の立ち位置をつかむことができる。このジョン・パウルという小説家は、人生は一冊の書物であると喝破する。旅という比喩が価値中立的であるのに対して、この考え方は生き方を要求する。ぺらぺらとめくっていくとは、うすっぺらに軽く経験していくというほどの意味だろう。念入りに読むとは、できごとを深く体験していくということである。一度の体験を深く味わい、そこから教訓を汲み出し、次のステージに備えていく。書物を見た、読んだ、という段階ではなく、自分でその意味を深く考えた人が、本当に人生を生きた人なのだ。