隠岐島。岐阜高山。中国雲南省昆明。徳島県神山町。相模原モデル。

「名言との対話」。11月26日。小村寿太郎

「うその外交は骨がおれるし、いつかはばれるが、つねに誠をもって押し通せば、たいした知恵もつかわずに済む。」

日本の命運を賭けた日露戦争は、陸軍の旅順陥落と海軍の日本海海戦の大勝利となった。しかしその時点で日本は兵力と財力は力尽きてしまっていた。政府は機会をとらえ、アメリカの斡旋を得て、ポーツマスで講和会議を開く。その全権を引き受けたのは外相・小村寿太郎である。条約締結は難題であった。ロシアの全権は老練な政治家・ウイッテで、小村はこのウイッテと息詰まる交渉を展開する。日本政府の各国政府からの情報収集、ルーズベルト大統領との友人関係にあった金子の動き、ロシア側の革命前夜の国内情勢、などを総合しなら、小村は冷静沈着に相手と対峙し、最終的に交渉を妥結させる。しかし日本の財政と兵力の実情を知らぬ日本国民は樺太北部と賠償金の放棄を知り憤激し大暴動に発展する。小村は帰国後暗殺の恐れの中で天皇陛下に奏上。

47歳で大抜擢を受けて、桂内閣の外相として入閣し、日露交渉にあたる。すぐれた頭脳、強靭な神経、大胆で周到な実行力を持った小村は世界各国に情報網、諜報網を張り巡らせる。決断力、忍耐力、周到な配慮と慎重さ、、、。

「日本はもう戦争をしてはいけません。戦争をする必要がないだけのことは、布石を打ったつもりです。これからは産業などに力を入れて、国民を楽に暮らさせていくことです」

「もし私に誇るべきものがあるとしたら、それはただ『誠』という言葉に集約されるであろう。つまるところ、学問や同胞との付き合いでも、また将来のことを考える場合でも、この『誠』の心を忘れずに貫く覚悟でいるのだ」

短躯(1m43c)、病弱、崩壊した家庭、父の負債からくる驚きべき貧乏、小藩の出身、などのあらゆるハンディを背負った小村は、外相として日本の危機を救った。小村寿太郎の外交の要諦は、「誠」であった。うそをつかず、誠心誠意でものごとにあたっていく。それを生涯貫いたこの人は偉い人であった。

 

「副学長日誌・志塾の風161126」

多摩キャンパス:FD研修会:講師は水谷IR室長。

  • SDの義務化
  • 授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修「IR分析について」
  • 大学運営業務に関する研修「企業会計から見た学校会計の特徴と誤解、防止策」

感覚に頼った施策から、根拠に基づく施策へと精度を上げていくことができると実感した。大数の時代から、一人一人を追う時代になるだろう。IRの果す役割は今後さらに大きくなる。また、開学以来の数字の変化を追って歴史的に現在を意味づけたい。意味のある勉強会だった。

 

九段サテライト:インターゼミ

  • バートル先生:共同研究の隠岐島調査:島は2万人、海士町2300人。2004年の山内町長就任から自立プラン策定。守りと攻め。職員給与22%カットで浮いた資金を教育へ投資。島をブランド化。岩牡蠣、サザエカレー、隠岐牛、冷凍技術(CAS)、塩。公設民営。中国の高級マナコの輸出。ヨソ者のIターン移住。高校定員を上回る状況。島留学。中堅社員研修。「ないものはない」。自立・挑戦・交流。
  • 奥山先生:アクティブラーニング実践。岐阜高山。学生23人、教員2,職員1。人口9.2万人の高山に観光客は434万人(外国人36万人)。きっかけは花森安治の暮らしの手帖に紹介。小店舗(飛騨牛の鮨など)が高利益。今後の課題は回遊性と渋滞。企業訪問5社(木工・工作機械・駿河屋。電算システム、、)。
  • 安田先生:中国の雲南省昆明に3人の先生。藤沢市の市長・議員・商工会議所の姉妹都市35周年に同行。東南アジアの首都構想。インド、東南アジアへ高速鉄道、道路。雲南師範大学、雲南民族大学と提携成立。ハノイではタンロン大学、ベトナム国立大学、ハノイ大学と提携。
  • 二宮君:インターゼミ地域班として徳島県神山町調査。インターネット環境整備。サテライト、カフェ、居酒屋、レストラン。NPOグリーンバレー。経済循環と生活。移住者と地元民との関係の今後?持続性?滞在者の存在が大きくなってきている。

学長講話:「現象と構造」。仙台のクマ出没、長野県の大麻集団という現象、構造は集落の過疎化。相模原モデル。20年後に東京・名古屋・大阪が1時間。7000万人のスーパーメガリージョンの出現。中間駅インパクトも大きい。2次交通をどうする。橋本から10分で品川と甲府。飯田、中津川。ローカリティを究めるとグローカリティにつながる。AI。2045年にシンギュラリティ到来か。AIは目的手段合理性。人間にしかできない仕事とは何か。課題設定能力。全体知が必要になる。地頭で深く組み立てる力を。