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アニメ「この世界の片隅に」-「生きるっていうことだけで涙がぼろぼろあふれてくる、素敵な作品です」(のん)

アニメ「この世界の片隅に」を観た。

老若男女の観客がいてこれほど混んでいるのは初めてだ。

主役の北条すずの声を演じた「のん」が、完成披露試写会で「生きるっていうことだけで涙がぼろぼろあふれてくる、素敵な作品です」という言葉が、この作品をあらわしている。

昭和元年生まれとおぼしき広島生まれのすずは昭和19年に19歳で東洋一の軍港呉に嫁ぐ。日本は昭和12年に日中戦争、昭和16年に真珠湾を攻撃し日米開戦と戦時体制に入っていく。呉の空襲、広島への現場投下、終戦。そして孤児を引き取るまでの、すずの日常を描いた作品である。平穏な日常が戦争によって脅かされる、そういう時代に翻弄されながら、世界の片隅に生きるけなげな女性の物語。

昭和2年生まれの私の母と同時代の女性の物語であり、その世代や、私たち子どもの世代、そして孫の世代も深い共感をおぼえる作品だ。

「燃え尽きてしまう男たちの戦争と、これからもずっと続いていく女の人たちの生活という対比が、鮮明に見えてくるだろう」と監督・脚本の片淵須直が語っている。

「普通の生活、普通に生きることの大切さに胸をつかまれる作品です。」(のん)

アニメ研究家の氷川竜介は「背景美術の密度感、遠近感も含めた画面全体で空間をつくりあげ、その積みかさねで「世界」を構築する」のが日本のアニメーションのづくりの特徴という。「世界をキャラクターの動きと連動して総合的に表現することで、実写よりも強烈な「実感」を伝えられる。」それが日本流のアニメーションなのだ。

さて、このアニメが世に出たのはクラウドファンディングという手法を用いたおかげである。なかなか資金が集まらなかったため、出資企業を募るためのパイロットフィルム制作費用2000万円を集めようとしたが、3月9日の開始から8日余で目標をクリヤーし、5月末には3374人の支援者から3912万1920円が集まった。この反響を見て映画館主が反応し始め、出資企業が集まり始めたのである。こういったやり方は、内容がよければ企画が通るという道を拓くことにつながる。ここにも希望を感じるアニメだった。

 

「名言との対話」12月11日。長岡半太郎

「「何々になろう」とする者は多いが、「何々をしよう」とする者は少ない。」

長岡半太郎(1865-1950年)は、17歳で東大理学部理学科に入学し1年を終了した後、西洋の学問である物理学を日本人が極めていけるのかという疑念を持った。一年間休学し、中国古典を読みあさる。そして西洋科学の源泉の多くは、東洋にあると確認し、物理学に戻る。物理学者らしい突き詰め方だ。31歳で帝国大学理学大学教授になり、定年退官した後には、大阪帝国大学初代総長、貴族院議員、第一回文化勲章受章、帝国学士院長などの顕職を歴任するなど順風の学者生活を送った。40代初めに東北帝国大学理科大学の創立準備委員になり、物理学の将来を見越した人選を行い、本多光太郎(1870-1954年。KS鋼・東北大総長)を選んでいる。また、大阪大学初代総長時代は、若手研究者の中に湯川秀樹(1907-1981年)や朝永振一郎を入れている。二人とも弟子の仁科芳雄の弟子にあたる。後にノーベル賞候補者の推薦委員になり、「湯川はオリジイナリティがある」として「初めて十分な自信を持って、同国人を推薦できる」と湯川を推薦し、湯川秀樹は日本人初の受賞をしている。

書斎で急逝する年にも学士院で8件、地震学研究所で10件の研究発表を行うなど死の直前まで研究を続けていた。長岡は文化勲章だけを大切にしており、葬儀の祭壇には文化勲章のみがあった。

「ようです、とは何だ。そのような曖昧さは、研究者として断じてあってはならん」

「研究は人材なり」

社長になろう、総理大臣になろう、ノーベル賞受章者になろう、、、。結果としての地位や名誉を目指そうとする人は多いが、大事なことは何をするのかという志である。目的があり、結果がある。長岡半太郎の冒頭の言葉は、それを指摘している。

 

「副学長日誌・志塾の風161211」

多摩大アリーナでキッズ・フットサル教室。

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指定校・AO入試:判定会議に参加。好調を持続。

バートル先生:教員採用面接の報告。