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片付けるべき仕事が終了。

夕刻、日本地域社会研究所を訪問。

落合社長から母の本の原稿ゲラをもらう。

たまたま来ていたお二人も交えて焼酎を飲みながら歓談。

一般社団法人発明学会の中本繁実会長。空き屋ビジネスに詳しい玉木弁護士。

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「名言との対話」12月23日。広田弘毅

「風車 風の吹くまで 昼寝かな」

1878年~1948年(明治11年~昭和23年)。内閣総理大臣(第32代)、外交官。福岡県福岡市出身。東京帝国大学法科卒業後、外務省に入省。大正12年、欧米局長。その後、オランダ公使ソ連大使、外務大臣などを歴任。昭和11年、2・26事件後の組閣で首相に就任するが、翌年1月には総辞職した。同年貴族院議員となる。第1次近衛内閣で外相に就任。戦後、A級戦犯となり極東国際軍事裁判で文官としてはただ一人死刑となった。70歳で没。

石屋の息子であった広田は東京帝大卒業まで、郷里福岡の玄洋社の国士・頭山満の援助を受けていた。外相に就任したとき「協和外交」を標榜した。これは玄洋社の大アジア主義の流れであった。

本名の丈太郎から変えた弘毅とは論語の一句「士は以って弘毅ならざるべからず」から取っている。広い見識と強い意志力を持つという意味であろう。

極東裁判では広田は無言で通し死刑を言い渡された。その広田は絞首台で「自然に生きて、自然に死ぬ」と最後の言葉を述べている。

城山三郎の「落日燃ゆ」でその生き方が世に知られた。私も熱心に読み感動した。恬淡として時代の要請に従って生きた。この広田の座右の銘は「物来順応」であった。勝敗を忘れ去り自然にままに動くという剣のの極意からきている言葉である。冒頭の言葉は、自分に風が吹くまでは昼寝をし、風が吹いてくれば世に立つという伸びやかな人生観を感じさせる。

 

「副学長日誌・志塾の風161223」

年末までに片付けるべき仕事はすべて完了!

  • 「立志論」の授業。祭日だが最近の大学は授業がある。出席者も少なくはなかった。
  • 金先生:ホテル講座、流通講座などの業界研究。
  • 樋口先生、奥山先生が加わり歓談。ヨガ談義、、。
  • 高野課長