吉田敏浩ほか「検証 法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉」

吉田敏浩ほか「検証 法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉」(創元社)を読了。

1959年12月16日に最高裁大法廷で行われた砂川裁判を戦後最大の事件として取り上げた労作。
創元社の「戦後再発見」双書の第3弾。

「米軍駐留は憲法第9条違反」として日本を揺るがした伊達判決が3月30日。検察は最高裁に跳躍上告。上告審は9月7日から口頭弁論、審査は異例のスピードで開始され、わずか10日余りで6回の口頭弁論が終了する。
「米軍駐留は合憲」の逆転判決があり、この日に日本国憲法はその機能を停止した。

伊達秋雄裁判長(東京地裁

  • 憲法9条は日本が戦争をする権利も、戦力を持つことも禁じている。安保条約は日本防衛だけでなく極東における平和と安全のために出動できる。米軍駐留は日本国憲法の精神に反する。」
  • 米軍の駐留は日本政府が要請しアメリカ政府が承諾した結果であり、米軍の駐留は憲法第9条第二項の戦力の保持に該当する。駐留米軍は憲法上存在を許されない。

田中耕太郎裁判長(最高裁

  • 憲法9条は戦争を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、主権国家としてもつ固有の自衛権は否定していない。
  • 憲法9条は他国の安全保障を求めることを禁ずるものではない。
  • 憲法が保持を禁じた戦力とは、わが国が主体となって指揮権・管理権を行使し得る戦力を意味する。だから駐留米軍は憲法が禁じた戦力には該当しない。
  • 日米安保条約は高度の政治性を有する。違憲か合憲かの法的判断は内閣と国会の政治的判断と表裏一体である。純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査にはなじまない。一見きわめて明白に違憲無効であると認められないかぎりは、司法審査権ン範囲外にある。
  • 米軍駐留は憲法に適合こそすれ、違憲無効であることは一見きわめて明白であるとはとうてい認められない。

この地裁判決から最高裁判決までの経緯を、アメリカの公文書を詳しく読み込んで詳しく追った内容である。
アメリカ国務省長官からの指示・誘導を受けて、日本は藤山外相を中心とした岸政権が田中耕太郎最高裁長官と相談している。
そして指示通りの内容の判決を出す。統治行為論
司法の独立を最高裁長官自身が破ってしまう。

この判決で、憲法体系よりも、矛盾する安保法体系が上位に位置することになった。
米軍は憲法を超えた超法規的存在となった。安保条約と関連する日米地位協定、付随する密約なども承認されたも同然となった。
安保条約と日米地位協定という不平等条約が存在することを認めたことによって米軍は治外法権となった。法治国家崩壊である。
その後、米軍は基地の騒音訴訟では日本政府の権限も司法権も及ばない第三者であるとして、損害賠償は認めるが飛行差し止めはできないという判決が下っていく。第三者行為論。

伊達秋雄(1909−1994年)。
京大法学部卒。新潟地裁東京地裁。1961年に退官。法政大学教授(刑法)、弁護士。

田中耕太郎(1890−1974年)はどういう人物であったか。
東大法学部卒。内務省に入省するが、東大に戻り教授(商法)。1950年、吉田首相の推挙で第二代最高裁長官。60年に退官。その後、オランダのハーグにある国際司法裁判所判事に就任し、10年間つとめる。
東大教授を経て、60代は最高裁長官。70代は国際司法裁判所判事。

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「名言との対話」1月5日。安藤百福

  • 「?」は、「!」のモト。
    • ハレー彗星の接近の年に生まれた安藤百福は48歳でチキンラーメンの開発に瞬間油熱乾燥法を用いて成功した。61歳で究極の加工食品と呼ばれるカップヌードルを開発する。直後の1971年の浅間山荘事件で機動隊がカップヌードルを食べる映像で大ブームとなった。そして永年の夢であった宇宙食ラーメン(スペース・ラム)を開発しNASAに提供し野口聡一宇宙飛行士が宇宙で食べたのは95歳の時であった。97歳の1月5日に亡くなったが、日清食品の社葬は宇宙葬であったというから徹底している。安藤の人生を眺めてみると、敬服と同時にある種の滑稽さも感じる。横浜の安藤百福発明記念館(愛称はカップヌードルミュージアム)は子供たちに圧倒的な人気があったので驚いたことがある。安藤は食産業は平和産業であると認識していた。
    • 「社長とは権力ではない。責任の所在を示している」。「時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ」。こういう言葉を数多く残している安藤は、単なる発明家ではない。ある種の思想家的資質もあったように思う。
    • 最後に行き着いた「食に関する疑問(「?」)を徹底的に研究し、実験し、失敗し、少しづつ山を登っていくと、真実(「!」)に近づいていく。その作品がチキンラーメンであり、カップヌードルであり、そして宇宙食ラーメンであった。イノベーターの人生というものは、こういった道程の繰り返しだろう。小さな疑問を一生かけて解いていく。常にまず疑問を持つことから始めたい。