落合陽一「魔法の世紀」

落合陽一「魔法の世紀」(PLANETS)を読了。

魔法の世紀

魔法の世紀

28歳の若き天才による衝撃の書。

20世紀は情報が平面に展開する映像の世紀であり、21世紀は映像の中の出来事が実世界に踏み出していく時代である「魔法の世紀」である、と著者は主張する。情報が情報世界から染み出していく。それを実現するのは、魔法の箱であるコンピュータだ。

魔法とはアートと技術を包括しながら、どちらとも異質の存在だ。今後、誰でも人は魔法使いになっていく。
魔法の世紀では、人間に原初的な感動を与えられるか、どれだけ心を動かせるかが勝負になる。
ディズニーは「この世界に魔法を実現する」ことを目標としている魁だ。
魔法の世紀では、これまでにない問題を創りだして自ら解いていくことが大事になる。
人間もコンピュータによって制御できるようになっていく。
人間の感覚を超越した設計を行うことで、メディアは物質世界事態をプログラミングできるようになる。
コンピュタ科学という名の統一言語で、知能・物質・空間・時間を含む、この世界全体お存在と現象が記述され相互に感応し合う。
感動の主体は人間であり、、文化の紡ぎ手はコンピュータと人間の共生であり、保存装置はインターネットになる。

今後の方向はこの通りだろう。想像を絶する世界が現れはじめている。
それに組織として、そして個人としてどう貢献し、対応していくか。

「名言の暦」1月14日。徳川光圀

  • 誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日こそ、母を最も苦しめた日なのだから。
    • 黄門様という名前で知られている水戸光圀(1628−1701年)は、実は諸国を漫遊してはいない。歴史書編纂のために使いを出し諸国の歴史資料を収集した。これが黄門様の諸国漫遊の物語につながっていく。すけさん、かくさんは、この編纂事業の重要な仕事師だったのだ。三大名園として有名な偕楽園に隣接している義烈館は死後300以上経った今も光圀の業績を語っている。
    • 光圀は18歳のときに司馬遷の「史記」を読み、発奮し、紀伝体の歴史書である日本の「史記」をつくろうとした。編纂所をつくり本格的に事業を開始する。光圀が30歳の時である。光圀は1700年に73歳で亡くなるが、完成しない。命日は1月14日。列伝は没後15年目にやっとでき、それから修正が始まる。明治維新水戸藩が無くなってからは、徳川家の私的な事業として続けられ、明治39年に、397巻、目録5巻の合計402巻が完成した。この間、実に250年の歳月がかかっている。徳川幕府の長さに匹敵する膨大な時間である。
    • 「朝廷に対し弓を引くことあるべからず」。この家訓が、後の将軍慶喜大政奉還につながっていく。
    • 頭脳明晰で判断力に優れ、顔だちもよく行動も俊敏だった。しかし光圀は三男であった。光圀は兄二人を差し置いて6歳で世子になり、水戸徳川家を継ぐのだが、中国の「伯夷伝」にならい次代は兄の子に継承させ、兄の深い悲しみに答えた。この言葉も、情に厚い光圀の真骨頂を示している。