モネ展(福岡市美術館)

母と車を飛ばして福岡市美術館で開催中のモネ展を観てきた。

美術館の近くに広田弘毅像。「落日燃ゆ」の主人公。

進藤一馬像。
昭和47年から10数年にわたって福岡市長。
文化行政に功績があったということで、美術館の前庭に像が建っっている。


マルモッタン・モネ美術館所蔵の作品の中から90点が展示されている。
多くの人でごったがえしていた。
「睡蓮、「日本の橋」、風景画、そして晩年の抽象画的な絵画も多い。
印象派という語源になった「印象、日の出」が印象深い。
モネと一つ年下のルノワールとの長い交流も興味深い。

九大時代に遊んだ大濠公園を散策。

豊前市で、倫理運動の創始者、丸山敏雄(189年-1951年)という看板を発見。
東京都武蔵野市で社団法人倫理研究所を創立。
生家が資料館になっている。

「名言との対話」 岩崎弥太郎

  • 「創業は大胆に、守成には小心なれ」
    • 土佐藩の回漕業務を一任されていた岩崎弥太郎は、廃藩置県後、九十九商会を買い受け1873年に三菱商会と改称し、海運と商事を中心に事業を展開する。三菱は土佐藩山内家の家紋「三ツ柏」と岩崎家の家紋「三階菱」を組み合わせたものである。三菱商会は、明治10年の西南戦争の軍事輸送を担当したことがあり大いに飛躍する。三菱財閥の創業者岩崎弥太郎は2月7日に50歳の若さで死去した。
    • 岩崎弥太郎は、海運から始めて鉱業、造船業、保険、為替など事業の「多角化」を図った。二代目の弟・弥之助(1851年生まれ)は海から陸へと事業「領域を広げ」、丸の内・神田に10万坪の土地を買った。その後、弥太郎の息子の久弥を経て、弥之助の息子・岩崎小弥太(1899年生まれ)は30年の長きに亘り社長業を続け、部門毎の「分社化」に取り組み重工(造船)、商事、銀行、地所と優れた企業をつくっていった。
    • 創業者・弥太郎は、危ない橋を何度もわたり成功をおさめた。激動期を大胆に行動し乗り切っていった。時代背景が違うのであり、守る立場になったなら小心に細心にという子孫に残したこの言葉を子孫たちは家訓として実行していった。人が集う組織のあり方への優れた教訓である。