蓮池透「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)を読了。
- 作者: 蓮池透
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/12/18
- メディア: 単行本
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この間の事情を「家族会」の事務局長として、また退会を強要された立場から、述べた本である。
著者は、北朝鮮に対する制裁をすべきという強硬派であったが、それがまったく効果をあげていないことから、対話を重視する方向に舵を切る。政治家の動向と、家族会の内紛、救う会との確執、マスコミの動き、などが克明に記録されている。
著者は東京電力に勤務しており、2009年に54歳で退職する前は原子燃料サイクル部のサイクル技術担当部長だった。また家族会代表だった横田滋さんは日銀出身であることは初めて知った。拉致問題に関わる人々への批判の舌鋒も鋭いが、返す刀でこの間の過激な自身の言動についても強く反省の弁を述べていてバランスは悪くない。
「拉致問題の解決」とは何か。これが本書のテーマだ。
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「名言との対話」2月11日。市川房枝。
- 「運動は事務の堆積なり」
- 長い歴史のある婦選会館の2階に記念室がある。入ってすぐに偉大な社会運動家であった1893年(明治26年)生まれの市川房江の写真とともに、言葉が飾ってあった。そこには「運動は事務の堆積である」という簡潔だが、重い言葉が記してあった。長い長い時間をずっと社会改革の運動に捧げた、類のない型の女性闘士市川房枝ならではの言葉だと感銘を受けた。
- 1980年の選挙では、278万票で一位。1953年から1981年まで、途中一回の落選はあったものの、参議院議員生活は20年以上に及んでいる。鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸と、10代の総理の時代を国会で過ごしていることになる。
- ひび割れた深い皺が、年輪と歴史を感じさせる。若い頃から幾多の戦いを経て、だんだん顔がよくなってきているような印象がある。金森トシエが「私の顔って、本当にあんなにしわが多いんだろうか」とおっしゃった、と述懐している。
- 市川学校の生徒心得第一条は「運動とは事務の堆積である」という運動哲学であった。市川自身まれに見る実務家であり、封筒、ハガキ、の上書きにはじまり会議記録、声明決議の起草、記者発表まで、そして資料を綴じ込む作業まで誰よりもうまかった。「市川さんは名前を出した以上、やるだけのことはちゃんとやる」「会の事務をきちんとやり、その経理については一円単位まで明細な会計報告書を配付した」という評価があるように言行一致の人だった。
- 女性社会運動家が心掛けなければならないこととして市川があげているのが、「自分の主張を明確にし一貫すること」「金にきれいであること」「男女間の問題についてもはっきりすること」だった。
- 年譜を眺めていると、おかしいのは、すぐに会や団体をつくって運動を始めることだ。26歳:新婦人協会を創立、。31歳:婦人参政権獲得期成同盟創立に参加。32歳:婦人問題研究所設立。40歳:東京婦人市政浄化連盟を組織。52歳:戦後対策婦人委員会を結成、新日本婦人同盟を創立。57歳:日本婦人有権者同盟(改称)会長復帰。60歳:参院東京地方区第二位当選(以後連続3回当選)、衆参婦人議員団結成。69歳:財団法人婦選会館を設立。73歳:政治資金規正協議会発足、代表理事の一人。もの凄い活動家であることがわかるが、その原動力は怒りだった。
- 二院クラブで一緒に活動した青島幸男は「私は憤慨しとるんですよ」が口グセであり、「憤慨ばあさん」と呼んでいたのである。
- 社会運動に参加し主導するのはきれい事ではすまない。細かな地道な日常の作業が山ほどある。この気の遠くなるような事務の連続に小さな力を結集していかなければ運動は実を結ばない。市川の軌跡を追うと華麗な経歴をささえた膨大な事務量が透けて見える。「運動は事務の堆積なり」は市川房枝の人生からあぶり出された至言である。