内舘牧子「終わった人」(講談社)

内舘牧子「終わった人」(講談社)を読了。

終わった人

終わった人

主人公は私と同い年の設定。盛岡の名門高校から東大法学部に進み、国内トップのメガバンクに就職。大卒男子200名の中でトップを争うが、ライバルに敗れ49歳で小さな子会社に飛ばされ、51歳で転籍となる。63歳で専務で定年となる。その後の66歳までの歳月を描いた定年小説である。

毎日が日曜日になって、ジムに通ったり、カルチャーセンターに顔を出したり、大学院に入ろうとしたりする。そういう生活に耐えられなくて仕事を探すが経歴がリッパすぎてうまくいかない。途中でずいぶんと年の離れた女性との恋愛もどき、もある。IT企業の顧問を経て社長になるが、倒産の憂き目に遭い、個人の金融資産のほとんどを失う。

結局、起業をしようとしていた妻とはおかしくなる。
それを救ったのは「故郷」だ。友人たち、お袋、自然、、、。

「最後は横一列」「成仏」「ソフトランディング(軟着陸)」、、、。

89歳のお袋が「66か、良塩梅な年頃だな。これからなってもできるべよ」と言う。
「終わった人」どころか、「明日がある人」なのだ。
私の88歳のお袋も「60代は若いよ、いいよ」といつも言っているのを思い出した。
この小説の最後は2016年1月だから、「現在」だ。

内舘牧子はこの書をすべての読者の遙に故郷の山河に捧ぐとしているが、成仏できないでいる団塊世代を中心に大きな影響を与える本になると予言しておこう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
オーディブルで江藤淳の高松での講演録「菊池寛芥川賞」を聴く。
−−−−−−−−−−−−−
「名言との対話」2月14日。山本周五郎

  • 「人間がこれだけはと思い切ったことに十年しがみついていると、大体ものになるものだ」
    • 頼山陽に「十年一剣をみがく」という漢詩の一節がある。不遇な生涯への不平を剣で払うといういみが込められているが、何事であれ十年の歳月を投入して自身の技を磨けという趣旨に使われる。
    • 一流の芸術家などを調べると1万時間を費やしているという研究もある。毎日3時間を10年続けると1万時間に達する。このくらいのペースで何かに打ち込むとものになるという。
    • 結婚生活も1年続くと紙婚式から始まる。2年では藁婚式、3年は草婚式、4年で花婚式、5年で木婚式、7年で銅婚式、そして10年では錫婚式となる。錫は錆びない、柔らかい性質を持ち、長く使うと表面に落ち着きがみられるという特質があるから名付けられた。少し落ち着いて長く続ける基礎が固まったということだろう。
    • 私が長く続けている知的生産の技術研究会でも30歳あたりから多くの偉い人の講演を聴いたが、「新聞の切り抜きを10年続けると本が書ける」というアドバイスを聞いたことがある。40歳に時に初めての単著を書いたが、この勉強会に入って10年経ったところだった。
    • 私のブログ「今日も生涯の一日なり」も毎日書き続けて本日で4157日となった。10年以上となったが、確かに最近は「十年一剣をみがく」という心境になっている。
    • 10年という年月は長い。途中で環境も変わるし、興味も変化していく。内外ともに移ろっていく。この中で軸足を定めてただひたすらに技を磨いていくのは生やさしいことではない。しかしそれをやっていかねばどうにもならないのは確かだ。