「あの日 小保方晴子」(講談社)

「あの日 小保方晴子」(講談社)を読了。

あの日

あの日

2016年1月28日発行。15章のタイトルを並べてみる。

「研究者への夢」「ボストンのポプラ並木」「スフェア細胞」「アニマルカルス」「思いとかけ離れていく研究」「論文著者間の衝突」「想像をはるかに超える反響」「ハシゴは外された」「私の心は正しくなかったのか」「メディアスクラム」「論文撤回」「仕組まれたES細胞混入ストーリー」「業火」「戦えなかった。戦う術もなかった」「閉ざされた研究者の道」。

「STAP細胞」をめぐる大騒動の中心に立つことになった著者から見えた世界の姿が克明に記録されている。科学の説明と周囲の動き、そして渦のど真ん中にいる自分の心境が科学者らしい証拠を押さえた上手な文章で綴られている。

生命科学界のどろどろした内幕、理研早大などの組織防衛による裏切り、若山教授など個人の驚くべき保身の動き、毎日新聞・NHKなど容赦ないマスコミの攻撃、こういった耐えがたい業火に焼かれる日々、、。

真実は闇の中だが、渦の中心から見えた地獄の風景は、よくみえた。
さて、この書はどういう影響を与えていくだろうか。
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「名言との対話」2月15日。 横井小楠

  • 人必死の地に入れば、心必ず決す
    • 東の佐久間象山(1811−1864)と西の横井小楠(1809−1869)と呼ばれた横井小楠は、勝海舟吉田松陰橋本左内由利公正、木戸、岩倉、森有礼坂本龍馬高杉晋作など、新時代を創った人々の先生格だった。坂本龍馬より26歳、高杉より30歳年上である。その小楠は2月15日、京都で暗殺された。
    • 海舟は「天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠とと西郷南州とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだ、、、」と危惧していたが、実際の歴史はそうなった。
    • 「政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ」と小楠は言った。そして「国是三論」で富国の道を説いた。そこでは武士は商人と公僕の姿をしていた。
    • 横井は幕府や新政府への提言が容れられるなど中央で活躍したが、地元・肥後では跳ね上がりものとして危険視されていた。最後は維新の元勲たちと並んで新政府の参与に登るが、地元では酒癖も尋常ではなくきわめて評判が悪く、記念館が建ったのはやっと昭和57年である。その酒癖が悪かった小楠がつくった熊本の小楠堂の掟の中に「酒禁制の事」とあったのは愉快だった。
    • 選択の余地があると人は迷う。得失を頭で考えて結論が出ない。この道しかない、とハラをくくると迷いは消える。