加藤典洋「戦後入門」

加藤典洋「戦後入門」(ちくま新書)を読了。

戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)

新書としては極限の634ページ、原稿用紙で800枚の大部の書である。
「戦後」を地理的には高い山から鳥瞰し、時代的には100年前の1914年から始まる世界大戦(第一次)から総括していくという大きな試みが成功している。こういう本は今までにない。
30年後にもなお、私たちは戦後100年といっているだろうか、そういう極めつけの問いが「はじめに」にある。

この本の中で登場する主な人物は以下の通り。
三島由紀夫江藤淳小島信夫田中康夫吉本隆明内田樹、シュヴェルブシュ、ウィルソン、レーニン、石橋湛山吉野作造重光葵石原莞爾トルーマン鳩山一郎、桜井よし子、オーウェルマッカーサー石橋湛山吉田茂鶴見俊輔渡辺京二高坂正堯永井陽之助岡崎久彦南原繁、R・ドア、小沢一郎、ラッセル、湯川秀樹、矢部宏治、池澤夏樹柄谷行人安倍晋三、、、、。

重要な事柄や見識は山ほどあるが、戦後を考えると必ず「憲法九条」に行くつくことになる。
加藤は、左からの護憲か、右からの改憲かという議論は、出口がないとして、それを超えていくことを主張している。リベラルの視点からの改憲である。
あらゆる角度から検討した結果、最終ページで、結論を出している。

以下、九条改定案。
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九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二、以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸空海軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第四十七条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。国の交戦権は、これを国連に委譲する。

三、前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救助にあたるものとする。

四、今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。

五、前四項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。
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再武装・日米同盟の「軍事的アナリスト」(安倍政権)と再武装・国家主権の復古型国家主義日本会議)へ対抗するために、平和主義・一国主義の「非武装中立論」(旧護憲派)と平和主義・国際主義の平和的リアリスト(内田・矢部・柄谷ら)を網羅した連合を形成する画期的な提案だ。
自衛権を認める憲法学者、旧自民党ハト派までを含む護憲・国連中心主義の合同である。

自民党ハト派の一部、小沢一郎国連中心外交、鳩山由起夫東アジア共同体構想、社会民主党日本共産党の平和主義、外務省、財務省防衛省の一部政治的リアリズム派までが、旧来の護憲派、現今のさまざまな未来構想とともに、結集できる。

以上が加藤の結論である。
現今の政治情勢をみるに、優れた、そして大きな構想であると思う。
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「名言との対話」2月21日。下中弥三郎

  • 「出版は教育である」
    • 平凡社の創業者である。「現代大衆文学全集」「世界美術全集」「新興文学全集」「社会思想全集」「大辞典」「国民百科事典」、、、とヒットを飛ばした。平凡社という名前は「名前は平凡でも、やる仕事は非凡だ」と田中館愛橘博士が絶賛している。
    • パール判事(1886-1967年)と深い親交を持った人物だ。この二人は兄弟の交わりをしている。箱根のパール下中記念館には二人の言葉が記された石碑がある。パール「すべてのものをこえて、人間こそは真実である。この上のものはない」。下中「世界連邦 平和の道 外はあらし 国人すべて ここにあつまれ」
    • 百科事典をつくった男・下中弥三郎は、「出版は教育である」という信念を持っていた。教育者を志して教壇にたった。教員時代の弥三郎の国語教育の目標は「本を読むことをすきにする。本を読んで考えるようにする」ということだった。その延長線上にもっと多くの人たちに影響を与える出版事業に邁進したというわけだ。
    • ある分野の全体を鳥瞰的にわしづかみして全集という形で世の中に提供しようする姿勢は一貫している。「出版は教育である」という信念を実現させた下中弥三郎の人生は、莫大なエネルギーに満ちている。大いなる人生であったとの感を深くする。