全体方針共有会を開催−−学部にとってもっとも重要な日。

夜は、中津のミニ同窓会。
博多の寺山君の上京にあわせて新橋で開催。
清原、猪俣、峰、岩釣、久恒。

「名言との対話」2月24日。直木三十五

  • 「私程度の作品を一日三十枚平均で書けないやうなら、作家になる資格はない。」
    • 菊池寛が制定し、この人の名前をとった直木賞は有名だが、本人がどの様な人かは知られていない。本名は植村宗一。ペンネームは植という字をバラして直木という苗字にして、その時の年齢が三十一歳だったので、直木三十一と命名。毎年三十二、三十三と増やしていたが、最終的には三十五で止まった。
    • 司馬遼太郎は「自己意識の強い人が芥川賞、他者との関係に目を向けたものが直木賞向け」という名言を吐いている。この方が純文学と大衆文芸というよりもわかりやすい。
    • 直木は色々な仕事手を染めるがうまくいかない。映画監督のマキノ省三とも一時に一緒に仕事をしている。39歳で書いた、南国太平記で流行作家になる。43歳で亡くなるが残した本は多い。
    • 「芸術は短く、貧乏は長い」と言っていたが、大阪谷町の記念館は、下町の一角にある小さな建物の二階にある。気をつけていないととおり過ぎてしまうような小ぶりの施設だ。
    • 短い期間ではあったが、怒濤の仕事量の人であった。