高村薫「空海」

高村薫空海」(新潮社)を読了。

空海

空海

小説家であり、一方で時代を論評する言論人の顔を持ち、近代合理主義者を自認していた高村薫は、1995年の阪神淡路大震災に大阪の自宅で遭遇し、宗教、とくに仏教に深い関心を寄せるようになった。そして2011年の東日本大震災でさらにその思いは深まった。

本書は共同通信社が2014年4月から2015年4月まで配信した連載「21世紀の空海」を加筆修正したもにである。
この間、共同通信社の取材チームとともに、全国の寺院、博物館、大学、地方新聞など膨大な人々に取材をしている。

最後の前高野山真言宗管長の松永有慶との対談で、空海は「やはり漠としている」と感想を述べている。私生活が伝えられていない空海の人物像が明瞭な姿を結ばないのだろう。タイムマシンがあったならば、空海その人に会ってみたい、とこの本を結んでいる。司馬遼太郎も「空海の風景」を書いたが、やはり同じような感想を抱いていたように記憶している。

空海密教を独創で細部まで念入りに完成させた。それゆえ弟子たちは怠けてしまった。
最澄はあらゆる教えを受け入れたが、体系化には成功しなかった。それがその後の仏教の新しい波を育てたともいえる。法然の浄土宗、親鸞浄土真宗栄西臨済宗道元曹洞宗日蓮日蓮宗などの新仏教比叡山で学んだ僧たちによって起こされた。

この本の主題である空海自身のことにも関心はあるが、四国八十八箇所をめぐるお遍路とは何かに興味が湧く。
全長1400キロに及ぶ四国遍路は、ハンセン病患者が物乞いをして歩き、障害者や犯罪者が露命をつなぐなど、窮民の多い巡礼の道だった。

今日の巡礼は「自分の所在を納得するための手続き」であり、個人が自分という存在を確認するための自己覚醒の儀礼だという見解が紹介されている。
白装束に象徴される擬似的な死と、そこからの再生である。

白洲正子の「西国巡礼」の中で多田富雄さんが、巡礼とは自己発見の旅であると喝破していたのを思い出した。

巡礼については、以下を読むことにしたい。
星野英紀「四国遍路の宗教学的研究」
浅川泰宏「巡礼の文化人類学的研究」
辰野和男「四国遍路」
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「名言との対話」 2月29日。法然

  • 「 私の寺社は全国に満ちている。貴賤の別なく、念仏を唱える者、これはすべて私の寺社である」
    • 岡山には法然上人を本尊とする誕生寺がある。1147年法然15歳のときに植えた木がありいまだに存在感があった。2月29日、法然は永逝した。
    • 親鸞法然から妻帯を命ぜられる。女色のためではなく方便として犠牲になれ、肉食妻帯のまま修業するという大きな課題を与えられた。その結果、念仏停止の処罰を受け、法然は讃岐、親鸞は越後に流罪となる。
    • 東日本大震災で打撃を受けていた東京江戸博物館が2011年に再開し、「五百羅漢」展を開催していた。幕末の絵師・狩野一信(1816-1863年)という画家の百幅の絵が増上寺にあるが、それをすべて公開するという画期的な企画であった。法然(1133-1212年)の没後800年を記念した企画だった。今なお、法然は生きて影響を与え続けている。
    • 山折哲雄の「親鸞を読む」(岩波新書)に宗教家たちの寿命のことが書いてある。それによると、イエス31歳。フランシスコ・ザビエル46歳。一遍50歳。道元53歳。カリヴァン55歳。最澄55歳。日蓮60歳、空海61歳。マホメット62歳。ルター63歳。孔子73歳。法然78歳。仏陀80歳。親鸞90歳。法然は異例の長命であった。
    • 平安時代の国家守護の仏教から、民衆個人を救う鎌倉仏教への先駆けが法然であった。法然阿弥陀仏のお慈悲を信じ、南無阿弥陀仏という念仏を唱えれば、死後は平等に西方の極楽浄土に生まれ変わると説いた。専修念仏の教えである。寺社が救ってくれるのではない。念仏を唱える庶民と自分はつながっている。そういう確信に満ちた宗教者の言葉だ。