辰野和男「四国遍路」(岩波新書)を読了。
- 作者: 辰濃和男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/04/20
- メディア: 新書
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筆者は6回に分けて歩く。歩いたのは71日。68歳から70歳になる直前までで長い間の宿願を達成した。この遍路は、区切りうち歩き遍路という分類に入るとのことだ。
四国遍路の日々を達意の文章で綴っていく。
- お四国病院:元気になる。
- お四国大学:人生修行の場。年齢性別職業宗派学業成績国籍不問無試験。
- 四国遍路の円環は平面ではなく、螺旋状。霊場から霊場までを、よりましにしたいと願い螺旋の道を歩く。人は生から死までを一直線に生きるのではなく、螺旋状の回りで生きる。一回りを1月、1年、10年と考える。人生を繰り返す、やり直すことができる。修行して螺旋状に円環を登っていく。修行を怠れば下がっていく。
- へんろ道は芸術品。何十万、何百万の人々が造りあげた共同制作品。
- 「生きている死者」として歩く。白衣に杖という死装束。しかし、日常生活において実は「死者のように生きている」だけではないか。
- 六根清浄。眼、耳、鼻、舌、身、意。こころを洗うのが難しい。
高群逸枝「巡礼の旅」(「火の国の女の日記」)
前田卓「巡礼の社会学」(ミネルヴァ書房)
添田あぜん坊「遍路記」
田宮虎彦
五来重「遊行と巡礼」(角川選書)
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「名言との対話」3月3日。下岡蓮杖。
- 「この世の中には先生と呼ばれる多くの人がいる。、、自分も早く先生と呼ばれる人になりたい、、」
- 日本最初の「写真師」、日本商業写真の開祖。下岡蓮杖は1914年3月3日、浅草で92年の波瀾万丈の生涯を閉じる。
- 写真だけでなく、富士山の絵柄を石版画として販売した日本における石版印刷業の祖でもある。アメリカより優良種牛5頭を輸入し乳製品の販売など牛乳搾取業も試みている。東京・横浜間の乗合馬車営業の開祖でもある。今も残る「馬車道」はその名残とか。
- 「写実というならば、いくら絵筆をもって苦心をしてもこれにはかなわない。何とかこの技法を学べないものか」と思った蓮杖は、絵師を断念し、新しい分野である写真に取り組んでいく。
- 明治という時代は秋山真之、好古のような青年があらゆる分野で猛然と勉強した時期だ。「自分が一日勉強を怠れば日本は一日遅れる」と真之は語っているが、この言葉は写真という新分野に挑んだ下岡連城にもあてはまる。そういう若人たちの大きな山脈の中で、日本の文明開化が行われたということだろう。
- 下岡蓮杖は、多くの分野の挑戦者として一生を送った。先駆けることが先生への道であった。いつしか、自然にまわりの人たちが「先生」という尊称で呼ぶようになっただろう。