軽井沢周遊−−千住博美術館、内村鑑三記念堂

軽井沢千住博美術館。
千住博(1958年生)。千住3兄弟の長男。
斬新な建物は、西澤立衛の設計。明るく開放感がある。なだらかなスロープ、白とコンクリートニュートラルな空間。
滝と鹿といいうモチーフ。

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石の教会・内村鑑三記念堂資料展示室。二度目の訪問。
「善遊善学」
「成功の秘訣」:六十六歳翁 内村鑑三。星野温泉若主人の為著す。
若主人は1905年生まれの星野嘉助。星野リゾートの星野社長の先祖だろう。
「自己に頼るべし。本を固うすべし。急ぐべからず、、」
「誠実に因りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし」
「人生の目的は金銭を得るに非ず、、、品性を完成するにあり」

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市村記念館(旧近衛文麿邸)。3月末まで閉館。
大正期のアメリカ式洋館。
軽井沢ゴルフクラブのハウス。
雨宮敬次郎。
学者村の拠点構想。
軽井沢夏期大学を再建し、今も続いている。

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軽井沢町歴史民俗資料館。3月末まで閉館。

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ショーハウス。3月末まで閉館。
カナダ生まれの英国国教会の宣教師。
軽井沢の別荘第一号(1888年)がショーハウス。
軽井沢町開発の父。

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万平ホテルで昼食。
代々、佐藤万平という名を引き継いでいるクラシックホテル。
開業は1894年。
箱根宮ノ下の富士屋ホテルとそっくりの造りだと告げると、同じ人がつくったとの答えだった。
戦後は、1946年から1952年まで米軍将校専用の休養施設だった。
「資料館」をのぞく。
田中角栄キッシンジャーの会談の場所。
ジョン・レノンは1976年から4年間、夏の一時期をヨーコと過ごした。

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「名言との対話」。3月23日。リー・クアンユー

  • 「資源が何もないことが、ここまできた秘密なんです」
    • りー・クワンユー1965年にマレーシアから分離独立した淡路島、東京23区とほぼ同じ面積を持つ多言語・多国籍からなる人工国家シンガポールのの建設、という途方もない難題に取り組み、その課題を見事に解いた稀有の人物であると思う。問題の設定と解決の道筋の決定と不屈の精神、そして柔軟な修正。優れた人材を使いこなすリーダーシップ。大局的世界観。現実感覚。人物を見抜く目、、。
    • 1965年分離独立、労働集約型産業(組み立て)。1970年代、高付加価値産業(コンピュータ、機械)。1980年代、サービス産業強化(金融、通信)。1990年代、IT2000。2000年代。知識集約型産業(金融、バイオ、医療)。2010年代、エンターテイメント(カジノ、)。
    • シンガポールは、不本意な独立以来、次々と新しい産業の構築に挑んできて、ことごとく成功している。国が小さく、人口も少なく、資源もまったくない。それを突破するには知恵を出すしか道はない。気がつくとシンガポールはアジアでダントツの豊かな国になった。建国の父が亡くなったあと、成長率にやや陰りがみえるが、後継者たちの事業構想力と問題解決力で乗り切ることができるか。
    • この言葉は人に言える。資産がないこと、逆境にあること、それが発憤の源になる。そして組織にも言える。資源が乏しいからこそ、結束力と知恵で乗り切ることが可能になる。その鍵は教育、人づくりにある。