2016年度入学式。山本七平「勤勉の哲学」。

山本七平「勤勉の哲学−−日本を動かす原理」(PHP文庫)を読了。

読了と書いたが、山本七平の鈴木正三、石田梅岩の思想の説明は簡単ではないので、まずこの本の最後の長い小室直樹の解説を読んだ。

この本のテーマは「日本人はなぜ勤勉なのか」だ。
日本人にとって仕事は修行である。禅の修行と同じ。一心不乱に行えば救済される。これが勤勉の哲学だ。
勤勉の哲学は「資本主義の精神」であったから日本は発展した。
技術でもなく、商業の発達でもなく、営利経済でもない。資本主義の精神を育てうるかどうかが重要だ。

資本主義の精神とは何か。
カトリックエートスである現世内禁欲、計画性と合理性を、プロテスタントが俗人にもその規範を要求した。
禁欲によって人格が作りかえられた。生活態度に一貫した方法が形づくられた。

日本資本主義の精神とは何か。
世俗内における職業的労働は宗教的行為とみなす。一心不乱に行えば成仏(救済)できる。それは精神的安定と充足感だ。
先世の因果でその位置に生まれた責任があるから、その位置が要求する労働をただひたすら行うことが義務である。
キリスト教の世俗内禁欲とは、勤勉のことである。
私欲から離れて、世の人につくすため一所懸命に職業に励めば結果的に利潤が発生する。その利潤だけが是認される。
倹約、貯蓄、投資、成長のサイクルが資本主義。ピューリタンは働き利得をあげよ、ただし使わずにただ貯めよとの思想であった。天職につとめ隣人を愛すなら神の恩恵を受ける。
梅岩は衣食住は生活に必要なだけでよいとする乱費を戒めて倹約の思想を生んだ。
正三・梅岩の思想は革命の思想ではない。
神という絶対者があれば、悪い社会を捨てて、よい社会を選べる。それが革命の論理だ。正三・梅岩の思想には絶対者はいない。

さて、日本近代化のためには革命が必要であった。そのためには絶対者の存在が必要になる。その答えはこの書の中にはない。
本居宣長が徹底して現状肯定の論理を突きつめることが、そのまま体制否定の論理を内包することになった。
朝廷から征夷大将軍と指定されたのが徳川政権であり、その現状を肯定すると、天皇が親政を行うことができるという論理が生まれるということになった。
これが明治維新の思想と原動力になった。
天皇という絶対者の存在をつくることが、日本の近代化をもたらした。
これは、中国の「天」、欧米の「神」と同様の仕掛けではないだろうか。
明治国家の創造者たちは、天皇という存在を明らかにして、新しい近代社会を創造していったということなのだろう。
この論理は、腑に落ちる。
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「名言との対話」4月5日。古河市兵衛

  • 「他人様のお掘りになったところを、サラにもう一間ずつ余計に掘りました」
    • 古河市兵衛は相馬家を買い取り名義人として立てて足尾銅山を買収した。志賀直道(志賀直哉の祖父)が市兵衛の共同経営者となり、その後渋沢栄一も共同出費者として名を連ねた。最初の混乱と苦労を乗り切って後、足尾銅山では立て続けに大鉱脈が発見され、銅の生産高は急上昇し、またたくまのうちに日本を代表する大銅山へと発展した。しかし鉱山の急発展の中、日本の公害問題の原点とも言える鉱毒問題が発生していくことになる。足尾銅山は昭和30年代末まで順調な採掘が続いたが、鉱物資源の枯渇、銅品位と作業効率の低下による赤字のため、閉山の方針を昭和47年に出した。
    • 田中正造の活躍によって足尾銅山鉱毒事件は国家的事件となり、明治30年には政府も古河市兵衛に対し鉱毒予防工事命令を出し、短期間に防毒工事を完了させなければ銅山の操業停止処分を課すという厳しいものだった。実行不可能と言われた工事に市兵衛は巨額の資金を投じて誠実に期限内に完了させたが、当時の知識や技術では鉱毒の除去はできなかった。
    • 冒頭の名言も、銅山をやった古河市兵衛らしく、「掘る」という側面から自分の信条を説明している。確かにあと少しだけ掘ったら宝が出たのに、諦めて多の場所に移動する人のなんと多いことか。事業でもそうだが、個人の興味・関心も浅くしか掘らずに転向する人は多い。まずは10年掘り続けることができるか、それが成否の分かれ目のように思える。