嵐山光三郎「漂流老怪人 きだみのる」

嵐山光三郎「漂流老怪人 きだみのる」(小学館)を読了。

漂流怪人・きだみのる

漂流怪人・きだみのる

きだみのる、という名前はよく知っているが、どのような人かは知らなかった。
エッセイストの嵐山光三郎(元平凡社「太陽」編集部員。1942年)による師匠・きだみのるの伝記である。新刊。

生涯をかけて漂流に身をまかせた怪人。酒飲みで、勇敢。威張っていたが、知力は緻密で不純物がない。ギリシャ語とフランス語の達人。眼光鋭く、太い背骨がまっすぐにたち、肩も胸も厚い。
なみはずれた食欲、わい談を好み、単純生活者といいつつ哲学を語り、幸福論をぶちあげ、つきあったアナキストとの思い出を語る。フランス趣味と知識人への嫌悪。反国家、反警察、反左翼、反分断で女好き。果てることのない食い意地。人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者。

嵐山本人の表現だと以上のようになる。面白いが、やっかいな人物である。
翻訳家、旅行家、詩人、作家、コスモポリタン社会学者、という多面体。

1895年1月1日、奄美大島生まれ。
35歳、ファーブル「昆虫記」の翻訳を始める。
48歳、「モロッコ紀行」(日光書院)
53歳、「気違い部落周遊紀行」(毎日出版文化賞
62歳、「気違い部落」が松竹で映画化。
80歳、死去。

  • 一番重要なことは長生きだ。、、長生きすれば、いま生きている連中の正誤がわかる。
  • 共産主義者はすべてに先だって、マルクスの「資本論」より、ファーブルの「昆虫記」を読まなくちゃならない。現実探求のリアルな目は、これで養うのだ。
  • 日本人は降伏を終戦と言い直した。占領軍を進駐軍といった。自尊心のオブラートで現実を包んで、ファクトを見ようとしない。

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「名言との対話」4月6日。加山又造

  • 「日本独自の何かをつくってみようとね。できなければ、その芽だけでもつくっておいてやろうと思う」
    • 加山又造は1927年(昭和2年)生まれだから私の母と同じ年に生まれている。2004年に76歳と画家にしては比較的早く亡くなっている。その前年には文化勲章を受章している。命日は4月6日。
    • 加山は平面的装飾的な画面で構成される日本画に、ピカソなどが提唱したキュビズムなど西洋絵画の手法を加えた新しい日本画を目指した。華やかで優美ではあるが、どこか近代的な命も持っている、そういう絵である。
    • 「伝統と革新」は加山の生涯のテーマだった。日本には「倣」(ほう)という考え方がある。これは単なる写生ではなく、本質を取り出し、それを制作の目標とする積極的な芸術行為である。
    • 「飛行機の室内装飾」を加山は手がけている。1968年(昭和43年)、加山41歳の時に、日本航空の依嘱によりボーイング747LRの機内コート、クロゼット、壁画面に「銀河の図」「「日輪草花図」などを制作したとあった。よく見かけた機内の壁の絵は加山又造の作品だったのだ。
    • 日本独自の何か、とは加山又造のいう「世界性に立脚した日本絵画の創造」であった。冒頭の言葉は、生涯のテーマの源を示している。