「広池千九郎物語」−−モラロジー(道徳科学)の創始者

モラロジー研究所編「広池千九郎物語」を読了。

新聞の広告欄で見かけて注文。本日届いたので、早速夕食後に読み終えた。

広池千九郎(1866-1938年)は、郷里・中津の偉人である。
中津市にある生家の記念館と、千葉県柏市麗澤大学内の記念館は訪問したことがある。
その他に、静岡県の広池千九郎畑毛記念館と群馬県みなかみの広池千九郎谷川・大穴記念館があるようだ。

若い人向けに編んだ書物であり、平易に解説しているので、本質がよく見える。
以下、広池千九郎の思想の骨格をまとめてみた。
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知識や考える力を持っていても悪いことをする人もいる。人の一生に決定的な違いを生むものが「道徳」である。
道徳の大切さを世の中の人に考えてもらうのが、「モラロジー」(道徳科学)という学問である。

  • 22歳:「生き方のお手本」にしたい人の話を集めて「新編小学修身用書」を書く。
  • 日本の国に誇りを持ち、世の中のために一生懸命に働こうと思う子供を育てるには、教師自身が日本の歴史を知らなければならない、と歴史研究を始め、「中津歴史」を書く。2000年以上に及ぶ中津地方の歴史をまとめた本である。
  • 日本の国の成り立ちやしきたり、日本人の暮らしに関することならすべて調べられる事典である「古事類苑」の編集に関わり、10年以上かけて、一千巻、7万数千ページの事典が完成する。広池はその四分の一を書いた。

日本の皇室が長く続いてきたのは、歴代天皇と、その先祖の天照大神が道徳的にすぐれていたからだ。だからその生き方を手本にすることが、わたしたちの幸せの鍵になるのではないか。世界の歴史上の孔子、釈迦、ソクラテス、キリスト、日本の皇室の生き方を「最高道徳」と名付け、理想的な生き方であると考えた。

道徳的な生き方とは、「三方よし」という点にある。三方とは、自分、相手、第三者である。それがみんなが幸せになる道でだ。晩年には広池は道徳的な生き方をする人を育てることに力を注いだ。

「わたしはみずから「たいまつ」となって、自分の身を燃やし、世界を照らしていこう」
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「名言との対話」4月7日。羽仁もと子

  • 「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る」
    • 羽仁もと子は、日本で女性初の新聞記者にして、自由学園の創立者である。4月7日に生涯を閉じた。84歳だった。
    • 婦人之友」「家庭之友」などの雑誌を出して、家庭や仕事において女性がどのように生活しらたいいか、その智恵を啓蒙し普及させた。子供の頃「きわめて聡明で、きわめて不器用な子供だった」ため、自身の家庭生活を切り盛りするための智恵を取材という形で聞きまわって、その成果を記事として書いたのである。
    • もと子は「家計簿」」の発明者である。2005年版の家計簿には「けむりのように消えてしまう おカネの足あとが つかめます。この家計簿をつけると 暮らしの予算が立てられ 明日がみえてきます」と書いてあった。
    • 長女説子も教育者だが、その説子が結婚した相手の森五郎は、後のマルクス主義者であり一世を風靡した羽仁五郎だ。私は大学時代「都市の論理」という著作に親しんだことがある。卒業後、「知的生産の技術」研究会の講師としてお呼びして謦咳に接したことがある。また、その子供は映画監督の羽仁進であり、そしてその子供が1964年生れのジャーナリスト・羽仁未央である。時代の先駆者として啓蒙的な人々が多いのが羽仁家の特徴のようである。
    • 自由学園は、「画一的な詰め込み教育でなく、子供自身から勉強態度を引き出す教育」「雇い人のいない自治自労の生活」を目指し、1921年に創立し、発展を続け、日下公人、水木楊などユニークなど材を輩出している。
    • 羽仁もと子のこの生活信条は、明快でよどみがない。それを毎日繰り返しながら、迷いなく日々の務めを誠実に果たしていこうとする態度がみえる。