津田大介・香山リカ・安田浩一他「安倍政権のネット戦略」

津田大介香山リカ安田浩一他「安倍政権のネット戦略」(創出版新書)を読了。

「名言との対話」4月26日。河鍋暁斎

  • 「この作品は長年の研鑚修行の成果であり、この値段はそのごく一部に過ぎない」
    • 妖怪や風刺画の絵師として独自の存在感をのある幕末から明治にかけての日本画家・河鍋暁斎1831-1889)は作域の広い絵師だった。能・狂言を描いた作品は一人舞台だった。暁斎が自らのことを「画鬼」と称した。4月26日、永眠。
    • 描いた分野は、動物、幽霊、美人画、戯画、浮世絵、春画、人物画、妖怪、芸能・演劇、風俗、、、、。 その画業があまりにも多彩で、かつ膨大であり、絵画史上の位置づけが難しかったため、長い間暁斎は忘れられていた。しかし明治の文明開化の時代には、圧倒的な人気があった。またお雇い外国人などを中心に圧倒的な人気があった。弟子の礼をとったコンドル[1852-1920)などを中心に海外にも情報提供があり、当時の暁斎北斎と並ぶ人気があった。暁斎と書いて「きょうさい」と読む。この漢字の前は「狂斎」と名乗っていたから、そのままの音で呼ぶようにしたのだろう。
    • 江戸以前の日本の伝統的な絵画の技法のすべてが河鍋暁斎に流れ込み、それが明治の時代に様々な形で花開いていく。そういう特別な才能と技術を身につけた異色の絵師でああった。
    • 第二回内国勧業博覧会に出展した「枯木寒烏図」に百円の値段をつけ高過ぎると噂された時に、この絵の値段ではなく多年の苦学の価であると答えた。冒頭の言葉はその時の暁斎の反論である。この絵は日本橋の菓子商・栄太楼主人が百円で買った。このことで人々は驚き、この鴉一目見ようと会場は盛況になった。本当に百円で買った主人に試みに百円とつけただけだと百円は返上すると申し出たが、主人は感服し、一度受け取って、帰り際に暁斎の廉潔さに百円を贈呈した。このエピソードも面白い。