宮本輝「泥の河」

宮本輝「泥の河」(新潮文庫)を読了。

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

昭和30年代の大阪の場末が舞台の作品。
1977年伊太宰治賞を受けたデビュー作である。
馬車引き、水上生活者などがまだ存在していた、昭和10年代の戦争の傷跡の残った生活風俗を少年の目で的確にとらえている。
河のほとりに住む少年と郭舟に暮らす姉弟との短い交友が、作者の幼年期の記憶を土台に描かれており、人生の哀歓を誘う名作だ。
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伊勢・志摩サミット前夜のオバマ大統領と安部首相の日米首脳会談。
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「名言との対話」5月24日、平塚らいてう

  • 「原始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」
    • 大正-昭和時代の婦人運動家。明治19年2月10日生まれ。44年婦人文芸誌「青鞜(せいとう)」を創刊、女性の解放を主張し,新しい女の生き方を実践。大正9年市川房枝らと新婦人協会をつくり、婦人参政権運動をすすめる。戦後は反戦平和運動に力をそそいだ。昭和46年5月24日死去。85歳。東京出身。日本女子大卒。著作に「円窓(まるまど)より」「わたくしの歩いた道」など。
    • 母性保護論争。「子供を産み育てることは、社会的・国家的性質を持つものであるから、女性が子供を育てている期間、国家の保護を求めるのは必要なことである」「女性は母性であるが故に保護されるべきである」とする平塚らいてうに対して、与謝野晶子は「国家に寄食する依頼主義である」「男女は対等な関係」として批判した。今日まで続くテーマの有名な論争である。
    • 平塚らいてうは「鳴神や、仁王の臍の紙礫(かみつぶて)」という豪快な俳句も詠んでいる。雷が鳴っている。力強い仁王の裸体にその稲妻が落ちるごとくに。そういう意味だろうか。鳴神やの後に、句読点を打つなど奔放な句風である。
    • 女性を語るとき、「原始、女性は実に太陽であった。」ほど有名な言葉はないのではないか。日本史において、平安以前は女系家族であり、女帝が多くその官僚としての女官の存在など、まさに女の時代であったともいえる。女を太陽にたとえるなど、この言葉には強い力がみなぎっている。、平塚らいてうのメッセージ力は、群を抜いている。