サントリー美術館の「原安三郎コレクション 広重ビビッド」展。

サントリー美術館の「原安三郎コレクション 広重ビビッド」展。

原安三郎というコレクター。
1884年(明治14年)徳島生まれ。
1909年早稲田大学商科を最優秀で卒業。肢体不自由のため就職がうまくいかない。
当時三井物産常務の山本条太郎(衆議院議員。政友会幹事長。貴族院議員)の知遇を得て、日本火薬(株)に入社。
1935年日本化薬社長(51歳)に。70余の企業群の総帥。
軍用火薬を製造せず、産業用に徹するなど、軍部の圧力に抗す。不屈の精神を示すエピソードが多い。
戦後、経済の復興と再建に尽くす。東京放送(TBS)の設立にも関与。
教科書専門大手の出版社・金港堂の再建。
1973年(89歳)、38年間の社長を経て会長。
1982年会長在籍のまま98歳の天寿を全う。

原は浮世絵収集に力を入れた。揃い物が多く、また保存状態がよい。
2005年に初公開されるまで秘蔵されていた。
北斎や広重の名所絵は質・量ともに抜きんでている。
江戸の彫摺技術が最上の状態で仕上げた時期のものなので、秀逸の作品群である。

  • いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断せよ
  • 原の「長寿十ヵ条」。

時間は短くてもよく眠れ
食事は少なくせよー朝はパンとオートミールと野菜と牛乳。昼はヌキ。夕食は米を一碗。
酒、タバコは呑まない。
物事をすべてその場で処理せよ。
心配はしても心痛はするな。
決して物にとらわれるな、物に支配されるな。
六十歳過ぎると義理や見栄、メンツで頭や身体を便わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことをあえてするな。
会合や人の依頼も気特ちにそわぬことはドシドシ断れ。
物事を正直に、いつも良心に照らして遺憾のないように。
思いついたことは遠慮しないでドシドシしゃべれ。

広重展。
広重が57歳から62歳の6年間に描かれた「六十余州名所図会」と「名所江戸百景」が中心。
初摺だから、色合いが見事。
詳細は別途。
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「名言との対話」5月28日。在原業平

  • 「つゐに行く道とはかねてききしかど 昨日けふとはおもはざりしを」
    • 伊勢物語」の主人公と思われる在原業平の没年は紀元880年で享年は56歳だった。5月28日逝く。
    • 「むかし男ありけり。」で始まる伊勢物語の男、在原業平は色好みと評されている。しかし、この男は屈折している。平安初期という藤原家全盛の時代に権力に迎合した父を許せない業平は、自分の信じた生き方を貫き、権力に関わる女性(高子)に近づく。そのため都においてはある時期に13年にわたる出世の異常な停滞を経験している。また京におれなくなった業平は「東下り」(あずまくだり)を行い、その途中や東北でも数々の物語を生んでゆくのである。
    • 時世の歌をいくつかあげてみよう。歌を詠むという日本文化の素晴らしさを感じる。
      • 西行:願はくは花のもとにて春しなん そのきさらぎの望月のころ
      • 道元:春は花夏ごととぎす秋は月 冬雪さえて冷すかりけり
      • 良寛:形見とて何かのこさん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉
      • 浅野匠頭:風さそふ花よりもなほわれは又 春の名残りをいかにとかせん
      • 千利休:提る我が具足の一つ太刀 今此時そ天に抛つ
      • 滝沢馬琴:世の中のやくをのがれてもとのまま かへるはあめとつちの人形
    • 人はいつかは死ぬということを知っている。しかし昨日や今日とは思わない。1000年以上も前も、そして今もそれは変わらない。人の死を詠んだ歌の中でも秀逸の名歌である。